先月のコラムで紹介した著書(『死すべき定め 死にゆく人になにができるか』)で、「ピーク・エンドの法則」というのを知りました。これがちょっと興味深かったので、ご紹介してみたいと思います。
私たちは自身の苦痛や快楽の度合いについて、二つの方法で評価しています。ひとつはその経験が起きている瞬間の評価、もうひとつはその経験を後から振り返るときの評価です。そしてこの二つの方法は、根本的に矛盾していると著者は言います。
先月のコラムで紹介した著書(『死すべき定め 死にゆく人になにができるか』)で、「ピーク・エンドの法則」というのを知りました。これがちょっと興味深かったので、ご紹介してみたいと思います。
私たちは自身の苦痛や快楽の度合いについて、二つの方法で評価しています。ひとつはその経験が起きている瞬間の評価、もうひとつはその経験を後から振り返るときの評価です。そしてこの二つの方法は、根本的に矛盾していると著者は言います。
先日、『死すべき定め 死にゆく人になにができるか』(アトゥール=ガワンデ・著、原田宏明・訳、みすず書房・刊)という著書を読みました。
「末期がんなど不治の病におかされ、現在の医学では病気の進行をとめることができない患者さんに対して、医療者はどう向き合えばいいのか?」という葛藤について、現役医師である著者が実体験をまじえながら考察を試みる良著です。
これらの考察は末期疾患の患者さんに対してのみならず、さまざまな病に苦しむ患者さん全般に敷衍できるものだと読んでいて感じました。そこで今回は、精神科医療にたずさわる端くれとして、著書のなかでとくに印象に残った部分を紹介してみたいと思います。
まったくの私事で恐縮ながら、先日、はじめてフルマラソンの大会に参加しました。今回はその中で気づいた点について、いくつか書いてみたいいと思います。
心身の調子を維持するためには、食事も大切だと痛感している昨今。先日読んだ『食と健康の一億年史』(スティーブン=レ・ 著、大沢章子・訳、亜紀書房・刊)という本が興味深かったので、一部紹介してみたいと思います。
地球上に私たち人類が誕生してから現在にいたるまで、どのようなものを食べてきたのか? それによって健康にどのような影響があったのか? という流れを進化論的な視点から振り返りながら、これから私たちは何を食べていくべきなのかについて考察される良著です。
精神医学や心理学の世界では、「うつ状態の人は思考や認知(物事の捉えかた)がネガティブに歪んでいる」とされることが多々あります。物事を実際以上に否定的・悲観的に考えやすいというわけです。
前回のコラムで「高すぎる理想は無意味であるばかりか、費用対効果を著しく下落させて社会不適応につながるおそれがある」ことを書きました。本稿ではこれを補足する形で、理想の高さについて少し掘り下げてみたいと思います。
世の中には理想と現実があります。心理学の用語では、「理想自己」(ideal self)と「現実自己(real self)と呼んでいます。
理想自己というのは「こうありたい自分」のことで、たとえば高校の部活で野球をやっている青年にとっては、「イチロー選手のように大リーグで活躍している自分」だったりします。
一方、現実自己というのは字の通り「実際の自分」のことで、上の例で言うと「高校の野球部に在籍しているが補欠の状態が続いている自分」だったりします。
うつや不安による不適応を起こしやすい性格のひとつに、「完ぺき主義」があります。
「満点でなければ0点と同じ」的な考え方で、100点満点のテストで90点を取っても、取れなかった10点にばかり目が向いてしまうため、メンタル面の不調が慢性的に続きやすいわけです。
昨今の流行語になっている感もありますが、「デフォルトモード・ネットワーク」という考えかたが注目されています。
私たちの脳は、勉強したり運動したりしているときに働くと思われがちですが、実際はそうではなく、何もしていないときもちゃんと働いています。たとえ眠っていても、延髄などによる生命維持機能で心拍や呼吸は途切れませんし、レム睡眠時に夢を見るのも脳の活動によるものです。
身体疾患も精神疾患も、なる人とならない人がいます。では、両者の違いはいったい何なのでしょうか?
ここでしばしば議論になるのが、「病気になるのは遺伝や偶然など、本人にはどうしようもない外的要因(偶然的要因)によるものだ」という考え方と、「病気になるのは努力不足や甘えなど、本人の内的要因(人為的要因)のせいだ」という考え方の対立です。
もちろんどちらが正しいという話ではなく、それは疾患の種類によって大きく異なります。
カウンセラー私たちカウンセラーや精神科医療スタッフにとって、とりわけ大切なことのひとつに「自己覚知」があります。自分の傾向や特徴を自覚したうえで、自分は物事をどのように受け取りやすいのか? 自分は相手にどのような影響を与えやすいのか? などを客観的に把握できる力のことです。
これがなぜ大切なのか? 当たり前のことと思われるかもしれませんが、今いちど基本に立ち返って考えてみたいと思います。