おうばく通信
おうばく心理室コラム
2018年5月 5日 (土)
【おうばく心理室コラム/2018年5月】「ピーク・エンドの法則」
先月のコラムで紹介した著書(『死すべき定め 死にゆく人になにができるか』)で、「ピーク・エンドの法則」というのを知りました。これがちょっと興味深かったので、ご紹介してみたいと思います。
私たちは自身の苦痛や快楽の度合いについて、二つの方法で評価しています。ひとつはその経験が起きている瞬間の評価、もうひとつはその経験を後から振り返るときの評価です。そしてこの二つの方法は、根本的に矛盾していると著者は言います。
このことを端的に示す、ひとつの実験データが紹介されています。苦痛を伴う内視鏡検査のような処置を麻酔無しで受けることになった患者さん数百人を対象として、処置中の痛みの度合いを1分おきに10段階で評価してもらいながら、終了後にもう一度、処置中に経験した痛みの総数を評価してもらいました。
普通に考えれば、終了後に評価された痛みの総数は、1分おきに評価された瞬間ごとの痛みの合計点と同等になると思われるでしょう。しかし、実際の患者さんたちの評価はまったく異なっていました。終了後の点数は、痛みを感じていた時間的な長さや、その度合いの合計点・平均値とはほとんど無関係でした。そのかわりに患者さんたちは、検査終了後に振り返ったとき、「痛みが最悪だった瞬間」(ピーク)と「検査の最後の瞬間」(エンド)という、2つの数値の平均値によって検査時の痛みを評価していたのです。
これがピーク・エンドの法則です。私たちは苦痛にしても快楽にしても、その瞬間瞬間の総和が、後から振り返ったときの評価になるわけではありません。そうではなく、苦痛または快楽がもっとも強い瞬間(ピーク)と終了時(エンド)の感覚だけを取り出して、その2つを平均したものが、苦痛や快楽の度合いとして脳に刻み込まれるのです。
さらに身近な例として、スポーツの試合を観戦しているときの心理状態が紹介されています。
たとえば阪神巨人戦を観ている阪神ファンの人がいたとして、前半から阪神が素晴らしいプレイで得点を大幅リードする展開であれば、その人はおそらく始終気分よく観戦することができるでしょう。そのまま阪神勝利で試合が終了すれば「とてもいい試合だった!」とゴキゲン様なわけですが、9回裏に巨人が大反撃して阪神がまさかのサヨナラ負けを喫してしまったらどうでしょうか? それまでの数時間を機嫌よく観戦していたにもかかわらず、さいごの数十分のために「散々な試合だった!」と超フキゲンのまま翌日を迎えることになるのは明らかです。
これもある種、ピーク・エンドの法則です。スポーツの場合は勝ち負けという結果が評価に大きく影響するので、さいごに逆転負けを喫したら「すべて台無し」となるのは当然と言えば当然です。試合はそれ自体がひとつのストーリーであって、たとえ前半がつらい展開であってもハッピーエンドであれば試合全体が幸福なものになるし、いくら前半が有利な展開であっても最後がアンハッピーであれば試合全体が不幸なものになる。
映画なども同様で、途中でどれだけ素晴らしい盛り上がりがあろうともエンディングが納得のいかない幕切れであれば「なんていう駄作だ!」となるでしょうし、逆にたとえ前半で退屈な描写が続いても最後に感動的なエンディングへと収斂して幕切れを迎えたなら「心打たれる名作だ!」となるでしょう。
私たちの人生もひとつのストーリーです。自分の半生を節目節目で振り返るとき、いい人生だったかどうかを決めるのは必ずしも苦痛/快楽の強さや回数、あるいはその総量ではなく、むしろそれぞれのピーク時の強さと直近の状態とに左右されると考えられます。さらに言うなら、人生の最期をどのような形で迎えるのかも、当人のQOL(人生の質)を大きく左右すると考えられます。昔の人も「終わりよければすべてよし」とはよく言ったものです。
私はまだ40代半ばなので、死をそこまで現実的に迫ったものとして認識できているわけではありませんが、かなうことなら人生の最期は過酷な苦痛を伴わない形で迎えたいと願うばかりですし、人生をできるだけ健康寿命で過ごすための心がけ(運動習慣や食生活の改善)を実践するとともに、終末期医療のさらなる向上にも心から期待を寄せています。
ピーク・エンドの法則に支配される私たちの記憶は、たとえどれだけ幸福な体験を積み重ねていても、ややもするとそれらすべてを忘却し、感謝の気持ちも雲散霧消して、己の不幸を嘆き続けるばかりの存在に成り果ててしまう可能性をはらんでいます。
だからこそ、ピーク・エンドの法則に抗うことはできないとしても、日々感じるつつましい幸福――人から親切にしてもらったとか、道端にひっそりと咲く雑草の花を見つけたとか、スーパーで買った魚が思いのほか美味しかったとか――の瞬間瞬間の記憶をできるだけ忘れないよう意識していきたいと、同時に強く思う今日この頃です。
文責:臨床心理士・名倉