おうばく通信
おうばく心理室コラム
2018年1月 5日 (金)
【おうばく心理室コラム/2018年1月】「抑うつのリアリティ」
精神医学や心理学の世界では、「うつ状態の人は思考や認知(物事の捉えかた)がネガティブに歪んでいる」とされることが多々あります。物事を実際以上に否定的・悲観的に考えやすいというわけです。
このような側面は確かにあります。たとえば健康診断で血糖値が若干高いという結果が出た場合、「自分には糖尿病の傾向があるかもしれない…」と心配する程度なら現実的ですが、「自分はもはや糖尿病で人生なにもできなくなってお先真っ暗だ」と悲嘆してしまう人がいたら、悪い方向に考えすぎだと言えるでしょう。
たとえ血糖値が少々高くても、食事や運動に気をつければ改善も可能でしょうし、健康的な暮らしを十分維持できると思われます。それなのに、「どれだけ食事や運動に気をつけても改善しないだろうし、そもそも自分には食事や運動をコントロールする力も無い」といった絶望的な思考しかできず自暴自棄になってしまうのは、生活に支障をきたすレベルにまで認知が偏って固着化していることになります。
一方、実はうつ状態の人のほうが現実的な判断をしていて、それ以外の人が能天気に考えているだけなのだという指摘もあります。このことを示しているのが、「抑うつのリアリティ」と呼ばれる心理学実験です。
抑うつ状態の人たちと、普通の精神状態の人たちとに、数字をランダムに提示して、その数字の今後を予測させた後にどうだったかを尋ねたところ、抑うつ状態の人たちは事実どおり「私は全く予測できなかった」と答えたのに対して、普通の精神状態の人たちは事実と異なり「私はけっこうな確率で正しく予測できた」と答えたのです。したがって、抑うつ状態の人たちが悲観的なのではなく、むしろ彼らはリアリストなのであって、普通の人たちが楽観的すぎるのだと結論づけられたのです。
この研究結果の意義とはなんでしょうか?
うつ状態を美化しようというのではありませんし、非常に苦しく生きる気力さえも奪いかねないうつ病を治療することの意義を引き下げるものでもありません。
しかし、私たちの気分や感情に「うつ」が連綿と受け継がれている事実を鑑みると、痛みや不安などと同じく、うつ状態も私たち人類の生存と発展にとって重要だったことがうかがわれます。
私たちは何かを失ったりして危機的な状況に陥ったときに、それまで通りの行動や暮らしを続けることは適応的ではなかったと考えられます。ものごとを楽天的に考えて次々に行動していくという積極的な傾向は、まわりの資源やサポートが順調で適度な競争原理が働いている状況下では私たちを一層発展させますが、資源やサポートが枯渇して努力しても結果につながらない状況下では、軽々しい行動はエネルギーを無駄に消耗するだけなので、むしろ気分が沈むことでいったん立ち止まって、別の行動に切り替えるほうが適応的だったのでしょう。
悲しみや憂うつが「こころの痛み」と表現されることがあるのは理に適っていて、私たちが自分の行動にブレーキをかけるべきときを知らせてくれているのかもしれません(実際、悲しみや憂うつを生みだす脳の部位と、痛みを生みだす脳の部位は隣接・重複していると言われています)。
「うつ=悪」という単純化された図式は、多くの誤解とさらなる苦痛を生みだす原因にもなっていると感じています。確かにうつ状態は非常につらいものですし、病的なうつ状態は適切な治療を行わなければ生命にかかわるケースもあります。一方で、うつを忌み嫌うあまり、わずかな気分の落ちこみや不安が生じただけで、すぐに精神安定剤などの薬物で苦痛を軽減しようとすることにも弊害はあると思われます。
うつをゼロにすることに固執して、少しでも気分の落ち込みがあるとそれに捉われてしまうというのは、ダイエット中に「甘いお菓子は絶対に食べないぞ!」と常に意識し続けるようなもので、かえって反芻思考の悪循環に陥りやすくなります。ある程度のうつは、あってしかるべきものとして受け入れ、共存していく姿勢が重要です(もちろん、うつの原因となっている問題が解決可能なものであるなら、解決していく努力も大切ですが)。
一方で、「リアリティ=善」という図式が正しいとも思いません。拙コラム「どうせまた散らかるんだから、掃除したって同じ?」の中で、パスカル『パンセ』のくだりを引用した通りです。
「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目を遮るものを前方に置いた後、安心して絶壁のほうへ走っているのである」
私たちは皆、生まれついた瞬間から、死という絶壁めがけて走り始めるわけですが、そんな冷徹な事実を直視しないで済むよう、さまざまな「目を遮るもの」(仕事や家庭、趣味など)の目隠しを次々に作り出すことによって、人生の終わりに向かって心穏やかに突進していけるのだと。
現実を直視しすぎるのも冷徹でつらいし、現実を直視しなさすぎるのも不適応を助長してつらいしで難儀なことではありますが、「変えられることを変えていく力、変えられないものを受け入れる力、そして変えられるものと変えられないものとを見分ける力」それぞれを育みながら、直視したり逸らしたりを臨機応変に切り替えていくのがいいのかもしれません。いつもながら歯切れの悪いコラムで恐縮ですが。
文責:臨床心理士・名倉