おうばく通信
おうばく心理室コラム
2015年3月 5日 (木)
【おうばく心理室コラム/2015年3月】「自己満足」の功、「誰かのため」の罪
自分のためではなく誰かのために行動することが私たちにはあります。世間一般で自己犠牲と言われる行動で、心理学では利他的行動と呼ばれます。今回はこの利他的行動の功罪、そして逆に自己満足の功罪について少し考えてみたいと思います。
利他的行動そのものは私たち人類に限らず、さまざまな動物にも見られます。たとえば、怪我をしている演技をして捕食者の興味を我が子から自分へと引きつけようとする親鳥の習性や、自分たちの巣や女王バチを守るため自らの命を投げ打って外敵を攻撃するミツバチの習性などが広く知られている通りです。ただ、彼らの利他的行動は、突き詰めれば自身の遺伝子が後世に受け継がれる可能性を高めるための行動であり、自然淘汰の観点からすれば利己的行動ということになります。
一方私たち人類には、自分の遺伝子の生存可能性を高めるわけでない利他的行動が見られます。困っている人がいたら、異性でもないし、仲間のメンバーでもないし、自分の子どもでも親族でもないのに助けたくなる。こういった行動は、人間が社会的動物であるがゆえ本能的に備えている向社会性とみることもできますが、手助けしたり援助したりすることによって得られるであろう「報酬」を目的とした強化行動とみることもできます。
「報酬」は内的報酬と外的報酬の2種類に大別されます。
拙コラム「やる気が出るのはどんなとき? モチベーションよもやま話」でも取り上げましたが、ある行動をとる原動力が「楽しいから」「満足感を得られるから」といった内的要因にある場合、これを内的報酬に基づく行動と呼びます。一方、その原動力が「お金をもらえるから」「感謝されるから」といった外的要因にある場合、これを外的報酬に基づく行動と呼びます。 内的報酬は自らの内側から湧き出てくるものなので安定している一方、外的報酬は相手が与えてくれるかどうかに左右されるので不安定です。
例をあげると、同じ画家でも「自分の納得できる作品を追求するために描き続けている画家」は内的報酬タイプで、「周りから賞賛されたいために絵を描き続けている画家」は外的報酬タイプです。両者を比べてみるとどうでしょうか? 前者(内的報酬タイプ)は、自分なりに満足できる絵を描くこと自体が喜びなので、生涯を通じて描画を楽しみ、かつ上達に励むことができるでしょう。一方、後者(外的報酬タイプ)は、みんなから賞賛されているうちはいいのですが、ブームが去って人々から評価されなくなった途端にダメになってしまうことでしょう。周囲からの評価は誰にもコントロールできない不安定な要因ですから。
子役俳優が大人になると精神的な問題を起こしやすいのは、このへんにも理由があるように思います。自分の努力で手に入れたわけではない容姿や愛嬌といった資質に対する外的報酬(=周囲からの評価)によって自我が成り立ってしまうと、その自我を維持するためには同じような評価が与え続けられなければなりません。したがって、人気が凋落してくると自分の存在価値そのものが消失してしまうかのように感じられて、そんな現実から逃れようとして薬物依存に陥ったり、自殺を選んだりしてしまうのではないかと。ただし、同じ子役俳優であっても自分の納得のいく演技を追求するようなタイプの人は、たとえ周囲からの評価が下がっても自我の危機を乗り切れることでしょう。
冒頭に挙げた利他的行動の原動力についても同じです。困っている人に手助けしてあげようとするとき、「手助けしている自分に満足感があるから行動するんです」といった内的報酬タイプの人は手助けそのものが喜びなので、助けた相手の反応はそれほど重要ではありません。しかし、「相手から感謝されたいから行動するんです」といった外的報酬タイプの人は、思うような感謝の言葉が返ってこないと逆にとても不愉快な気分になったり、怒り出したりしてしまうかもしれません。
相手からの評価などの社会的報酬で自己評価が成り立っている人は、まわりに左右されやすく、まわりに操られたり洗脳されたりもしやすいのです。 こう考えると、「誰かのため」という利他的行動そのものは大切ですが、その原動力が「感謝されたいから」「褒められたいから」といった外的報酬に偏重しすぎるのはちょっと危険です。むしろ「人のために何かしている自分が好き♪」といった自己満足タイプのほうが、相手からの見返りを期待していない分、安定して過ごせるかもしれません。
なお、周りからの評価を気にしないと言うと「じゃあ自己中心的なことばかりしていいってワケ!?」と目を三角にする御仁が時折おられますが、そういうことではありません。自己中心的な振る舞いをして周りからヒンシュクを買っている自分って、きっと自分でも好きになれませんよね? だとしたらそれは、自己満足できていないのです。
そんなわけで自己満足、もっと大切にしてみませんか!?
文責:臨床心理士・名倉