おうばく通信
おうばく心理室コラム
2012年5月 7日 (月)
【おうばく心理室コラム/2012年5月】やる気が出るのはどんなとき? ~モチベーションよもやま話
私たちが「やる気」になるのはどんなときか? これはカウンセリングでの話にとどまらず、さまざまな場面で大切になってくるテーマです。
古典的な行動理論にもとづくなら、私たちは特定の行動に対して報酬が与えられると、その行動をもっと行うよう動機づけられる、つまり「やる気」になるということになります。たとえば、子どもにいい成績を取らせたいとき、勉強すればお菓子を与えるようにすれば子どもはがんばって勉強し、いい成績を取るようになるというわけです。この場合の報酬はお菓子ですが、それがお駄賃であっても褒めることであっても同様です。
このように書くと、なあんだ、人の行動はけっきょく報酬に左右されているんだ。でも確かに世の中、そんなものかもね。…と思われる向きもありましょうが、ちょっと待ってください。
では、虫捕りに夢中になっている子どもはどうでしょう? いくら捕まえたところでお菓子をもらえるわけでもなく、誰から褒めてもらえるわけでもないのに、日が暮れるまで野原を駆け回って、虫かご一杯にバッタやらカマキリやらを捕まえてくる。こんな子どもたちの「やる気」は、いったいどこから湧いてくるのでしょうか?
この問題について考えるヒントとして、ひとつのエピソードをご紹介します(『人を伸ばす力』新曜社刊より一部改変)。
轟音をたてて家の前を走り回る暴走族に毎晩、悩まされている老女がいた。
なんとか彼らを追い払いたいと思った老女は、ある晩一計を案じ、いつものように走りにやってきた暴走族に「いつも賑やかにしてくれてありがとう」と言って、千円札を全員に一枚ずつ手渡した。すると彼らは喜んで、ますます爆音をたてて家の前を走り回った。
翌日の晩、暴走族は千円を期待して走りにやってきた。すると老女は、「あまり余裕がなくて…」と言って、五百円玉を全員に一枚ずつ手渡した。彼らは少しがっかりしたが、それでもお金がもらえることには変わりないので、それぞれ五百円玉を受け取って、ひとしきり走り回ってから帰っていった。
翌々日の晩、暴走族はまたやってきた。老女は「これだけしかあげられないの」と言って、百円玉を一枚ずつ手渡そうとした。すると彼らは、「たった百円のために走りにくるほど俺たちはヒマじゃねえんだよ!」と吐き捨てて帰り、それ以降、走りにくることは二度となくなったのだった。
まことに鮮やかな逸話ですが、考えてみれば暴走族の面々は、当初は爆音を立てるのが純粋に楽しくて走り回っていたはずなのです。このような、行為の原動力が行為自体への興味・関心にある「やる気」のことを、内発的動機づけと呼びます。つまり、その行為自体の持つ楽しさが報酬になっているわけです。
その後、暴走行為に対してお駄賃という報酬を与えられた彼らは、走り回ることの目的を変化させていきます。当初の目的は暴走行為それ自体だったのが、次第に、暴走行為に伴う現金収入へとすり替わっていきました。このような、行為の原動力が行為そのものではなく外的な報酬にある「やる気」のことを、外発的動機づけと呼びます。
そして、内発的動機づけは長続きしやすい一方、外発的動機づけは報酬の切れ目が縁の切れ目なので、長続きしにくいと言われているのです。
話を戻して、虫捕りに夢中になっている子どもの「やる気」について考えてみると、これは正に内発的動機づけに基づく行動です。だからこそ長続きしますし、それよりなによりやっていて楽しい。
片や冒頭に述べた、ご褒美のために勉強にがんばっている子どもの「やる気」は、外発的動機づけに基づく行動です。こういう子どもたちにとって勉強は、ご褒美のために仕方なく我慢して取り組むことなので、ご褒美がもらえなくなれば途端に勉強しなくなってしまうのです。
もちろん私たちには外的な報酬も必要です。身を挺して人助けしたら相手から感謝された、がんばって仕事に励んだらその分お給料が増えた……こういったことが生活の張りになっている側面は否めませんし、楽しいことばかりして暮らせるわけではない人生、報酬をもらわないとがんばれないことだってあるでしょう。
ただ、私たちの「やる気」の原動力は、外的な報酬だけではありません。それどころか外的な報酬は、本当の意味での「やる気」を殺いでしまう側面さえあります。
その行為自体の楽しさが目的になっている時間は、いわば生きた時間です。それに対して、その行為が外的報酬を得るための手段になっている時間は、いわば死んだ時間です。だからこそ日常の暮らしのなかで、目的が手段にすり替わっていないかどうか、その行動自体の楽しさを見失っていないかどうかを、ときどき眺め直してみるのもいいかもしれません。
ちなみにこのコラムなどは、いくら書いたところで上司から評価されるわけでもなく、読者から反応をもらえるわけでもないので、内発的動機づけだけで続けている好例だと言えそうです。…と、つい愚痴半分に書いてしまいましたが、評価や反応などの報酬を変に得てしまうと、それが途絶えたときに続けるモチベーションがなくなってしまう可能性がありますから、今のままのほうがいいんだ! と自分に言い聞かせている昨今です。
文責:臨床心理士・名倉