おうばく通信
おうばく心理室コラム
2015年2月 5日 (木)
【おうばく心理室コラム/2015年2月】アドラー心理学のすすめ
先日参加した学会で、「世間ではアドラー心理学が静かなブームになっている」と知り合いの先生から聞きました。
アドラー心理学。私自身は体系的に学んだことはなく、当院に就職した十数年前に、素養のひとつくらいの気持ちで入門書を読んだ経験しかないものの、ずいぶんと前向きでユニークな考え方だなァと当時感心した記憶があります。
ただ、私の興味はすぐに認知療法や行動療法、対人関係療法などに向いてしまい、アドラー心理学は手つかずのまま時が流れてしまったのですが、今回関連本を読み返してみたところ、いやーこれが実に興味深い!!
アドラーはフロイトと同世代の心理学者・精神科医で、初期はフロイトとの交流もあったようですが、考えかたの相違から両者は袂を分かちます。フロイトが「リビドーが原因で神経症が生じる」「幼少期のトラウマが原因で不適応が生じる」という原因探し的な考えかたをとっていたのに対して、アドラーはむしろ「本人がリビドーやトラウマをどう捉えるか」という各個人の主観的認識に重きをおき、だからこそ人は自身の考えかたや行動を自分の望むように変えていけるのだという目的論的な考えかたをとったのです。
アドラー心理学の全貌を本コラムで紹介することは到底できませんが、ピックアップしたいくつかのキーワードに沿いながら、その考え方を少しでもご紹介できればと思います。
…というわけで、ひとつ目のキーワードは「目的論」。
不適応的な行動や症状が現れているとき、その行動や症状の原因は何なのか? という原因論的な考えかたではなく、その行動や症状は何のために現れているのか? という目的論的な考えかたに基づいて分析をすすめます。
例えば、宿題をいつもやってこない小学生の場合、原因論的な考えかたでは「親の教育が間違っていたことが原因だ」「本人の記憶力が悪いことが原因だ」という風に分析しますが、目的論的な考えかたでは「宿題を忘れると先生にかまってもらえる。そのために忘れるのだ」という風に分析します。
どちらが正しい正しくないはさておき、過去のことや能力は周囲や本人の努力では変えられない一方、将来のことや行動は周囲や本人の努力で変えていけます。先の例で言えば、親の過去の教育や本人の記憶力は変えられませんが、先生にかまってもらうための行動は変えていけるでしょう。
このような発想は大人の不適応にも幅広く応用が可能です。拙コラム「カウンセリングの種類あれこれ」の中で解決思考アプローチという手法を紹介した際、次のようなアナロジーを引き合いに出した通りです。
「道に迷ったんですけど○○にはどう行けばいいんでしょうか?」と訊いてきた人に対して、「どうして迷ったんですか!? まずはそれをハッキリさせてからです!!」なんて言うのはなんとも酷な話で、普通なら素直に「○○への行き方」を一緒に考えてあげるのではないでしょうか? つまり、「どこから」ではなく「どこへ」を問うことにこそ治療的意義があるのです。
ふたつ目のキーワードは「評価しない」。
褒めたり叱ったりという評価は、相手を一時的に操作する効果こそあるものの、長期的には得るところのない愚行だとアドラー心理学は喝破します。
いったん褒めて相手を動かしてしまうと、その相手はあなたに褒められない場面では行動しなくなります。また、叱って相手を動かしてしまうと、相手との関係が悪くなったり、相手のやる気をそいだりしやすいばかりか、その相手はあなたの見ていないところで不適切な行動をとるようになります。 だとしたら、一体どうしたらいいのか?
ここで大切となるのが「勇気づけ」です。相手を褒めたり叱ったりして評価するのではなく、自分自身の気持ちを伝える。相手が善い行動をしたら「ありがとう」「うれしい」「助かった」等々、相手が悪い行動をしたら「悲しい」「つらい」「さみしい」等々と伝えるのです。これは微妙なようで実は大きな違いで、YouメッセージとIメッセージの問題とも言われます。
たとえば、あなたが友人に手作りの料理を振る舞ったとして、その友人から次のような言葉が返ってきたら、どんな風に感じられるでしょうか?
A:「ちゃんと美味しい料理作れるんだ。偉いね」
B:「わあ、この料理美味しい。ありがとう」
Bの返答であれば素直に嬉しいけれど、Aの返答はなんだか小馬鹿にされているように感じられるのではないでしょうか。 なぜなら、Aの返答は「あなたは○○です」式のYouメッセージ(=評価)であるのに対して、Bの返答は「わたしは△△です」式のIメッセージ(=勇気づけ)であるからです。Aの返答は相手を褒めてはいますが、褒めるという行為には上位の者が下位の者に対して下す評価というニュアンスがあるため、相手を見下すような態度として感じられます。一方、Bの返答は自分の感じたことや感謝の気持ちをそのまま表現しているため、相手は素直に喜び、自分に自信を持てるようになるのです。
なお、相手からの評価は過度に気にしないことが大切で、これは私自身も常々心がけています。同僚や友人から嫌われないためだけに過ごしているとしたら、それはもはや自分の人生ではなく、同僚や友人の人生を生きているに等しいと言えるでしょう。
カウンセリングで面接している場面でも、ときには患者さんに厳しい指摘をしたほうがいい場合があります。しかしここで、患者さんから好かれたいがために、耳触りのいい言葉ばかり並べるカウンセラーがいたらどうでしょうか? このようなカウンセラーは、患者さんが良くなることよりも、自分が傷つかないことのほうがずっと大切で、けっきょく自分のことしか考えていないのです。 いくら耳障りのいいことを言ってくれても、こんなカウンセラーに相談したいとは誰も思わないことでしょう。
つまり、「周りからの評価」よりも大切なことが人生にはある、ということです。
なぜ今の時代になって、アドラー心理学が再びブームになっているのか? 知り合いの先生いわく、「みんな疲れてきてるんじゃないかなあ。まわりからの評価ばかり気にして生きていることに」。
私たちは他者からの期待を満たすためだけに生きているわけではないし、他者も自分の期待を満たすためだけに生きているわけではない。何のために生きるかは本来、自分で選択・決定していくものなのに、気がつけばまわりからの評価ばかり気にして生きている。……こんな雰囲気が現代社会に広がっているような印象は確かにあります。
もちろん人類は社会的動物ですから、生存していくためには「群れ」に受け入れられる必要がありますし、生物学的にはそういったことが向社会性(他者の役に立とうとする行動傾向)や評価への敏感さの発端となっているのでしょう。ただ、そもそも人類が暮らしていた環境は今のような人口過密状態ではなく、常に他者からの評価におびえるような状況でもなかったはずです。必要以上に他者からの評価にさらされがちな現代社会においてこそ、アドラー心理学の存在価値は高まっていると言えるかもしれません。
……調子に乗って書いていたらうねうね脱線して、すっかり長くなってしまいました。これ以外にも「優劣コンプレックス」や「共同体感覚」、幸福になるために必要な「自己受容、他者信頼、他者貢献」といった重要なキーワードがあるのですが、今回はひとまずこのあたりにて失礼したいと思います。
もしアドラー心理学に少しでも興味を持ってくださったなら、本稿のきっかけとなったオススメ関連図書を2冊紹介しますので、よければご一読ください。
『アドラー心理学入門』 岸見一郎 ワニのNEW新書
『嫌われる勇気』 岸見一郎・古賀史健 ダイヤモンド社
文責:臨床心理士・名倉