おうばく通信
おうばく心理室コラム
2014年7月 5日 (土)
【おうばく心理室コラム/2014年7月】行動療法の落とし穴…を使って大儲け!?
心理療法のひとつに行動療法があります。
私たち人間は「快」につながる行動を繰り返そうとする一方、「不快」につながる行動を避けようとする学習法則を持っています。この法則を「条件付け」と呼びますが、不適応的なかたちで条件づけられた問題行動を、より適応的な条件付けによって改善していきましょうというのが行動療法です。
今回はこの行動療法にひそむ、ものすごく単純な落とし穴について書いてみたいと思います。
「快」をもたらす対象のことを、心理学の世界では「正の強化子」と呼びます。○○亭のラーメンを食べたらおいしかったからまた食べたいという場合、○○亭のラーメンが正の強化子ですし、英検3級に合格したら親からほめられたから英検2級目指して勉強するという場合、親からほめられることが正の強化子です。これら正の強化子を得るための行動~○○亭に足を運ぶ、英検の勉強をするなど~を私たちはすすんで繰り返します。
一方、「不快」をもたらす対象のことは「負の強化子」と呼びます。××屋の中華丼を食べたら死ぬほどまずかったからもう食べないという場合、××屋の中華丼が負の強化子ですし、漢検3級に落ちたら親から叱られたから今度は落ちないよう勉強するという場合、親から叱られることが負の強化子です。これら負の強化子を避けるための行動~××屋には行かない、漢検の勉強をするなど~を私たちはすすんで繰り返します。
一般的に快である正の強化子は、本人の適応や生存にとって有利な事象です。おいしいラーメンを食べれば生きるのに必要な栄養を摂取できるでしょうし、親からほめられる行動をとれば家族や社会に適応しやすくなるでしょうし、いずれも本人の生存可能性が高くなります。
片や、一般的に不快である負の強化子は、本人の適応や生存にとって不利な事象です。死ぬほどまずい中華丼を食べると食中毒の危険性もあるでしょうし、親から叱られる行動をとれば家族や社会に適応しにくくなるでしょうし、いずれも本人の生存可能性が低くなります。
これらの法則は、過剰な食料や人工調味料、各種の麻薬や薬物にあふれる現代社会においては必ずしも適応的に機能しておらず、本来は適応的目的であるはずの快(正の強化子)ばかりを追い求めると生活習慣病や依存症を引き起こして逆に寿命を縮めるケースが増えているのですが、このあたりについては過去の拙コラム「依存症の本質について(私見)」に書いたので割愛させていただくとして。
正の強化子、負の強化子という考えかた自体、わざわざ心理学の概念など持ち出さなくても世間一般に広く認識されていることと思います。誰だって嬉しいことはすすんでやるし、嫌なことは避けようとする。当たり前の話です。
「アメとムチ」としばしば言われるのも一例でしょう。人はほめられるとますますやる気になるし、叱られるとそれ以上失敗しないよう気をつける。だから褒めるのと叱るのとをうまく使い分けることが、自分の都合のいいように人を育てたいときには大切なのですよというわけです。
だからこそ家庭でも学校でも、アメとムチ方式の「ほめる/叱る」はプリミティブな教育原則として実施されているのだと思われますが、それらがうまくいかない場合、何かが間違っていることになります。その落とし穴の代表例が、「ほめる=正の強化子」「叱る=負の強化子」という先入観から、強化子の本質を正しく判定できなくなっているケースです。
正の強化子は本人にとって快、負の強化子は本人にとって不快なものだと先に述べました。普通に考えれば、「ほめる=正の強化子」「叱る=負の強化子」となるのが当然と思われるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか?
不良中学生などにとっては、先生にほめられる=恥ずべきことであって、むしろ先生に叱られること=カッコイイことかもしれない。そうであるなら、タバコを吸って先生に叱られたところで生徒本人にとっては勲章みたいなもので、むしろその行動(喫煙)は強化されてしまうことになります。
逆に、軽蔑している超ダサい先生から「君、タバコ吸ってんだって? いいねえ~。ワシもヤングの頃からヘビースモーカーでね。君がダンディーに一服してる姿は、まるで昔のワシの姿を見とるみたいだよ」などとほめられたら、さしもの不良中学生も一挙に脱力して、タバコを吸う気力すら萎えてしまうかもしれません。
行動療法の原則にしたがうなら、「ほめる=正の強化子」「叱る=負の強化子」という先入観を捨てて、事実としての結果を検討することが肝要です。ほめたら相手はどう感じて、どういう結果につながったか? 叱ったときはどうか? 何も干渉しなかったときはどうか? …こういった観察を通じて、正と負の強化子がどのように連鎖しているかを正しく分析することが、療法の第一歩となります。
ちなみに筆者の場合、知人友人の洋服を「そのシャツ素敵やね!」などとほめても、「おまえに言われるとなんかゲンナリするわ……」と落胆されることがよくあります。ほめることが相手にとって負の強化子になっている好例ですが、これを逆手にとって「ファッション逆リーダ・ビジネス」を構築できないものかとひそかに画策している昨今です。
たとえばファッション界のメーカーA社に、「貴社のライバルであるB社を私が大絶賛すればB社のイメージはガタ落ちすると予想されます。袖の下をいくらか頂ければそのようにさせていただきますが……」と持ちかけるのです。
ただしそのためには、私のファッションを見ただけで人々が痙攣嘔吐するような、泣く子も黙る「地獄のもっさ人間」として世間に名を轟かせる必要があるわけで、その境地に達するにはもう幾ばくかの修業が必要かもしれないなァと、いささか複雑な自己不全感を抱えつつ本稿を終わらせていただきたく存じます。
文責:臨床心理士・名倉