おうばく通信
おうばく心理室コラム
2013年4月 5日 (金)
【おうばく心理室コラム/2013年4月】依存症の本質についての私見
精神科圏の問題のひとつに依存症があります。薬物依存、アルコール依存、買い物依存、ゲーム依存、ギャンブル依存……挙げはじめるとキリがありませんが、私たちは時として、さまざまな対象に「依存」して生活に支障をきたしてしまいます。
では、依存症の本質とは何なのでしょう?
その前にまず、私たち現代人は程度の差こそあれども、何らかの依存状態に陥っていることを自覚したほうがいいかもしれません。生活に支障をきたしているわけじゃないけれど、気がつけば「それ」なしでは落ち着かなかったり、イライラしたりするようになっているモノやコトってありませんでしょうか?
たとえば身近なところでは、グルタミン酸ナトリウムをはじめとする化学調味料(近頃は「うまみ調味料」と呼ぶそうですが、人為的に精製されている物質なので「化学調味料」の呼称で構わないと個人的には思っています)。今やほとんどの加工食品に含まれており、これが入っていないとどうも味気なくて、物足りなく感じる人はかなり多いことでしょう。
グルタミン酸は元来、自然の食材に広く含まれるアミノ酸の中のひとつです。そのままでは酸味が強いため、水酸化ナトリウムで中和・精製してグルタミン酸ナトリウムの形にして、純粋な「うまみ」を感じさせる調味料として流通しているのが化学調味料です。
自然の食材に広く含まれるものなら摂取しても悪くないように思えます。実際、化学調味料自体にはそんなに毒性はないのですが、だからといって問題がないわけではありません。
グルタミン酸は人類にとって必須アミノ酸(※注釈1)ではありません。ただ、グルタミン酸が含まれる自然界の食物には人体に必要なそれ以外のアミノ酸も豊富に含まれているから、人類の味覚はグルタミン酸の味を「快」と感じるようチューニングされてきたものと考えられます。
そのため、化学調味料(グルタミン酸ナトリウム)に出会った我々の舌は「栄養の豊富な食べものだ!」と錯覚して、存分にうまみを感じながら食べることになります。でも実際には栄養などちっとも含まれていないから、そのままだと栄養が偏ったり、おいしくて食べ過ぎたりしてしまいます。自らの生存に必要な栄養素が入っているかどうかとは無関係に、グルタミン酸ナトリウムが入っている食品を渇望してしまうのです。
かつてのカップラーメンが典型例で、それだけで三食を間に合わせるようになった人々の間で脚気などのビタミン欠乏症が頻発する事件があったと聞きます。そんな経緯があって、現在ではカップラーメンの類に必ずビタミンB1とB2が添加されているんだとかで。
「それ自体」に毒性はなくても、自然の状態から人為的に抽出すると問題が出てくるモノやコトは、それこそ枚挙にいとまがありません。
糖質なんかもそうで、果実やサトウキビをかじっているぶんには糖分を摂り過ぎることなく、糖分以外のビタミンやミネラル、繊維質なども同時に摂取できます。一方、人為的に精製された砂糖は、糖分以外の栄養素は除去されている一方で、とても甘くて美味しいから食べすぎてしまいます。自然界では本来、「甘い食べもの=カロリー&その他の栄養分が豊富な食べもの」という図式が成り立っていたため、純粋に甘さだけが抽出されると生存のためのチューニングが誤作動して、不適応を引き起こしてしまうのです(自然界にはそもそも食料が豊富には存在せず、軽い飢餓状態を前提として私たち人類が形づくられてきたという事情も大きいと思われますが)。
そして依存症のメカニズムは、本質的にはこのような「生存のためのチューニングが誤作動して、不適応を引き起こしてしまう」ことにあると筆者は考えています。つまり、生存に必要な適応的行動を私たちが能動的に選択するよう発達してきた「快」の感覚が、人為的なモノやコトによって一層強烈に感じられるよう文明が進歩してきた結果、適応的な行動が駆逐されて生活に支障をきたすようになった。これが依存症の本質ではないかと。
こう考えると、依存症の対象として冒頭に挙げた薬物やアルコール、買い物、ゲーム、ギャンブルなどは、いずれも「快」を感じさせる人為的なモノやコトです。薬物(シンナーなど)やアルコールはそれ自体が毒性を有していますが、買い物やゲーム、ギャンブルなどはそれ自体に毒性があるわけではありません。しかし、本来は狩りに成功したときなどに分泌されていたのであろう脳内神経伝達物質(=快を感じる)が、買い物やゲーム、ギャンブルなどの人為的娯楽によっても容易に分泌されるようになり、仕事や家事など生きるために必要な行動がそっちのけになってしまった状態こそが、依存症と言えるのではないでしょうか。
もちろん、依存症のメカニズムはこんなに単純なものばかりではなく、自己不全感や愛情飢餓など心理的な背景要因が大きく影響している場合も多々あります。ただ、人為的に作られたモノやコトにひそむ危険性の本質的なメカニズムを知っておくことは非常に大切だと感じます。「分かっちゃいるけどやめられないんだよね~」という場合が多々あるのも事実ですが、リスクを認識したうえで楽しむのとまったく認識しないまま溺れるのとでは、自己コントロールの可能性が大きく違ってきます。
コロンブスの発見したアメリカ大陸に続々と乗り込んだヨーロッパ人は、先住民のインディアンたちを無力化するべく、アルコール度数の高い蒸留酒を彼らに与え続けたと言われます。インディアンたちはお酒に免疫がなかったため、勧められるままに飲んで自滅してしまったわけですが、もし彼らがアルコールの功罪、その利益と害をあらかじめ熟知していたら、歴史は大きく変わっていたかもしれません。
マウスの脳に電極を刺し込み、ボタンを押すと快楽中枢が刺激されるようにすると、マウスはずっとボタンを押し続けて、ついには餓死してしまうといいます。おいしいモノや楽しいコトにあふれる現代社会も、考えようによっては脳電極マウスにとってのボタンのような存在であり、だからこそ意識的に自己コントロールしていくための知識と理性が必要とされる、便利だけれどちょっぴり厄介な時代だと言えそうです。
※注釈1:フェニルアラニン,ロイシン,バリン,イソロイシン,スレオニン,ヒスチジン,トリプトファン,リジン,メチオニンの9種類。それぞれの頭文字を拾って「風呂場イス独り占め」(フロバイスヒトリジメ)と憶えるのが便利だとされています。実際に風呂場でイスを独り占めしている人がいたらビックリしますが(笑)。
文責:臨床心理士・名倉