おうばく通信
おうばく心理室コラム
2013年5月 5日 (日)
【おうばく心理室コラム/2013年5月】「あることモード」(Being mode)のアナロジー!?
たとえば旅先でホテルに泊まっているとき、火災報知機のサイレンが突然けたたましく鳴りはじめたら、あなたならどのような行動をとるでしょうか?
おそらく「火事!?」と反射的に身がまえた後、「早く逃げなくちゃ!」と非常口めざして一目散に走り始めることでしょう。
この対応が間違っているわけでは決してありません。非常口に殺到した宿泊客が将棋倒しを起こして死傷者が出てしまう可能性もありますが、原則としてはできるだけ早くホテルから脱出することが助かるための最優先要因となります。周囲のようすを悠長にうかがったり、どう行動しようかじっくり考えたりしていたら、煙に飲まれて手遅れになってしまうことでしょう。
東日本大震災のときも、津波がきたら取るものもとりあえず、周囲の人々のことも構わず、とにかく一目散に高台に逃げなさいという意味の標語、「津波てんでんこ」が何度もとりあげられました。考えるよりもまず行動に移す。そうしなければ生き残れない過酷な状況が、人類の歴史の中に存在し続けていることは事実です。
だからこそ、ホテルで火災報知機のサイレンが鳴りはじめたら、その場から逃げて助かることだけを考えて猪突猛進する。…これは自己保存本能を持つ私たちの、至極当然の行動だと言えるでしょう。
ところで、私たちが感じる痛みや恐怖、不安、憂うつといった不快な感覚・感情は、生命体に元来備わっている火災報知器のようなものと考えられます。自分の生存にとって不利な状況、もしくは不利が予想される状況におかれたとき、痛みや不安、憂うつなど不快な感覚・感情が生じて「この状況から早く脱したい!」と感じることが、自らをより生存に有利な状況へと持っていく原動力となるのです。
熱いフライパンをにぎると、「熱い!」と不快に感じて、早く手を放したくなります。そのままにぎり続けていたら、ヤケドして自らの生存に不利となるから、「熱い!」という痛覚(=火災報知器)が発動して、手を早く放すよう自らを持っていくのです。
また、いつも仲良くしている同僚からそっけなくされると、嫌われたんじゃないかと不安になって、嫌われていないことを確かめたくなったり、相手の機嫌を取りたくなったりします。そのまま同僚との関係が悪化したら、「群れ」の中で孤立して自らの生存に不利となるから、孤立の危機を早く回避するよう自らを持っていくのです。
人類は周囲との協調関係なくしては生存が難しい社会的動物の典型ですから、自分自身の状態だけでなく、相手との関係性においても不快な感覚・感情が生じるようチューニングされてきたのでしょう。
ただ、私たちの備えている痛みや恐怖、不安、憂うつといった「火災報知器」は、情報や刺激の多い現代社会においては時として感度が鋭敏になりすぎ、必要以上にサイレンを鳴らしてしまいがちです。ホテルの火災報知器でいえば、ちょっとタバコを吸っただけで反応して、全フロアでサイレンが鳴り始めてしまうようなものです。こう考えると、私たちの感覚や感情は、必要だけれどもちょっとアテにならない、いささかイイカゲンな火災報知器だと言えるかもしれません。
たとえば、デスクワークしていたら頭が痛くなってきたとします。この痛み自体が仮に眼精疲労による小さな「サイレン」であったとしても、何とかしなくちゃ…!と咄嗟に行動してインターネットで病状を検索し始めたりしたらどうなるでしょうか。「この頭痛は脳腫瘍の初期症状ではないだろうか…」なんて具合に、最初の痛みサイレンがさらなる不安サイレンを鳴らし、その不安サイレンがさらなる不安サイレンを鳴らしてしまい……これが心気症と呼ばれる神経症です。
だとしたら私たちは、自分自身のイイカゲンな火災報知器とどのように付きあっていけばいいのでしょうか? どうすれば誤作動に惑わされることなく穏やかに過ごせるのでしょうか? 誤作動かどうかをすぐに見分けられれば一番いいのですが、残念ながらそう簡単ではありません。
たとえば、購入した株が値崩れしないか不安で気が気でない人がいるとします。もしも値が暴落したら今後の生活に支障をきたすかもしれませんから、不安のサイレンが発動するのは当然のことであるとも言えます。ただ、こういったサイレンはすぐにどうこう対処できる類のものではなく、しばらく経過を観察するしかないわけです。言ってみれば、不安というサイレンが鳴っていることは認識しつつ、それはそれで当然の反応であることを受け入れながら、目の前のほかの問題に取り組んでいく必要があるのです。
ここで大切なのは、耳をふさいでサイレンの音を無いことにしようとしないことです(ある事柄を意識から追い払おうとすればするほど、逆にとらわれてしまうことは、拙コラム「白クマについて考えないでいられますか?」で述べた通り)。また、不安のサイレンが全くの誤動作かといえばそうではなく、実際に株価が暴落する可能性だってあるのですから、不安を完全に拭い消せるほうがおかしいとも言えます。
「火災報知器」のセンサーが必要以上に過敏な場合には、抗不安薬などのお薬によって一時的に感度を下げることが有効な場合もあります。ただ、あまりにも薬物に頼りすぎると常習性・依存性が出てくる可能性もあります。
したがって、サイレンが鳴り続けるのは当然のこととしてとらえながら、状況がどう推移していくのかを観察する、サイレンの大きさがどう変化していくのかに耳を傾ける、そのうえでどう対処していくかを大局的な視点から検討する。こういう姿勢こそが、マインドフルネスでいうところの「あることモード」(Being mode)ではないかと愚考しています。
…というわけで、マインドフルネスの本質について、なにか分かりやすいアナロジーはないものか?と思い立って本稿を書いてみたんですが、我ながら当を得ないウネウネした文面になってしまいました。書き終えてみても忸怩たる思いばかりが募ってきますが、この恥ずかしい気持ち、悔しい気持ちを「鳴って当然のサイレン」として受けとめ、いずれ小さくなっていくものとして傍らにおきつつ、アップロードさせていただきます(読者の方々からしたらたまったものではないかもしれませんが)。
蛇足ながら、犬などの動物はたとえ怪我で全身不随になっても落ち込んだりはせず、飼い主にかわいがってもらったり、エサをもらったりしてそのときが楽しければそれで幸せなのだそうです。将来について考えるだけの能力がないだけとも言えますが、常に「今を生きて」いる点では見習うべきところがあるかもなァと思う昨今です。
文責:臨床心理士・名倉