おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2022年9月 2日 (金)
月刊きょうと/「回復への歩み」(2022年9月)
今回のエッセイは、笑顔にな~れさんに、「回復への歩み」と題して、過去から現在に至るまでの経過を執筆いただきました。その時々の思いが書かれていますので、ぜひご覧ください。
私がうつを最初に発症したのは20年前、今回で3回目の再発です。前回発症したのは約10年前。2か月の休職後、焦りから、治らないまま復職しました。症状は不安と恐怖、思考力の低下、対人恐怖でした。
対人恐怖は特にひどく、周囲に人が近づいてくるだけで圧迫感を感じ、話しかけられると頭の中がパニック状態になりました。職場では自分から話をすることは、ほとんどありませんでした。会議などでは、恐怖で足も声も震えていました。当然、周囲との仕事の調整がうまくできず、コミュニケーション不足を指摘されることも多くありました。本当に辛い日々でした。
しかし昨年、再び体調を大きく崩し、行き詰ってしまいました。主治医の先生からは、もう一度、自分の人生を考え直すために、バックアップセンターに通ってみないかと話しを受けました。迷った挙句、私はセンターに通うことを前提に休職を決意しました。そして宇治のおうばく病院に入院療養後、センターに通うことになりました。
初日は書類関係を記入したり、説明を受けたりし終了しましたが、二日目からはプログラムへの参加が始まりました。それは私にとって試練の始まりでした。通い始めたばかりのメンバーさんとの交流を兼ねたプログラムでは、自分についていろいろ話をしなければなりませんでした。またプログラムの後には、感想を述べる場面が多々ありました。自分の番が近づくにつれて心臓が踊り出し、身体の震えが止まりませんでした。家に帰ると疲れ果てて、放心状態となりました。
そんな私に、あるメンバーさんが笑顔で話しかけてくれました。その方には、私が人と話すのが怖いことを打ち明けましたが、特に気にする素振りもなく、話しかけ続けてくれました。とても嬉しく感じました。
私自身も努力をしました。毎日、一回、メンバーさんに話しかけるという目標を掲げ、天気の話、住んでいるところ、課題図書、持ち物などについて、他愛ない話ばかりでしたが、話しかけるようにがんばりました。
しかしステージが進むにつれて、どんどん、発言しなければならない機会が増えていきました。新しいプログラムが加わるたびに、恐怖に襲われ、緊張で硬直してしまいました。司会をしたり、発表をしたり。上手くできない自分に失望し、肩を落としながら帰ることも数え切れないぐらいありました。しかし、その都度スタッフの方々やメンバーの方々から、「うまくできていましたよ。」、「すごく頑張っていますね。」と励ましの言葉をたくさんいただきました。それが私に、少しずつ自信を与えてくれました。
そして通い始めて5ヶ月ほどたった頃から、人と話さなければならないから話したいに、話すのが怖いから楽しいに、ひきつった笑顔から自然な笑顔へと変わっていきました。まだ治り切ったとは言えませんが、ここまで自分が回復できるとは想像していませんでした。
私はアラフィフで、先には定年という文字がちらついています。自分の思い描いた人生ではなかったと、悔やむこともあります。しかしこの先の人生をふと考えた時、人とたくさん関わり合えるようなことができればと思うようになりました。いろいろな人と共に奮闘しながら、一緒に泣いて、笑って、喜んで。そんな人生を送れれば素敵だなと思っています。
センターでのプログラムもいよいよ大詰め。卒業までの残された時間を大切にしていきたいと思っています。バックアップセンターに通わせてもらっていることを、心から感謝しています。