おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2020年6月 1日 (月)
月刊きょうと/「笑顔の理由」(2020年6月)
今回はメンバーのK.Y(男性)さんが、笑顔の理由について書いてくださいました。
朝、BUCの扉を開けて、“おはようございます”と挨拶をする。その日の天気や昨日起こった面白い出来事、BUCにいる水槽の魚たちの話題など、他愛もない話をしているうちに、気づくと自然に笑顔になっている自分がいる。いつからこんなに自然に笑うようになったのだろう。
自分の笑顔が気持ち悪い。どうしても好きになれない。むしろ嫌悪感すら抱いている。そんな時期があった。なんでこんなに辛いのに笑ってるんだろう。なんでこんなに悲しいのに笑ってるんだろう。
人から笑顔で話しかけられると、条件反射みたいに笑顔で返していた。何となく楽しい雰囲気にはなっているが、しっくりこない。でも、自分が笑顔をやめてしまうと、この雰囲気は簡単に壊れてしまう。つまらない奴だと思われてしまう。疲れていても、悲しくても、自分が笑顔でいれば、その人の笑顔は崩れない。楽しい雰囲気は長続きする。
自然に笑顔を作れるなんて、気持ち悪い。長所でも何でもない。自然に心に嘘をつけるなんて不自然だし、しんどい生き方だ。そうは思っていても、やはり怖い。笑っていなければ嫌われる。嫌われたら自分の存在価値なんてない。とにかく、自分と話している人の笑顔が消える瞬間がどうしようもなく怖かった。
今は、自分の笑顔がそんなに嫌いではない。むしろ、“いつも笑顔ですね”と言われると、誇らしく思うこともある。それは、自分のことがどうしても好きになれず、自分の存在価値すら見失って落ち込んでいた時、“笑ってる顔がおまえの顔やで”と言ってくれた友人がいたからである。笑顔は決して綺麗な顔ではない。目は細くなるし、頬や口は左右ばらばらに歪んでいる。
なのに、一番素敵な表情に見えるのは、その表情に敵意がなく、どこか自分に心を開いてくれているような安心感があるからだろう。まわりの人が、自分に対して“いつも笑顔”というイメージを持ってくれているのは、自分がその人に対して安心感を与えることができているということだろうか。もしそうなら、この笑顔も悪くない。
笑顔を作っている人をよく見かける。しんどい時も気分が沈んでいる時も笑顔を絶やさない。少し前の自分と重なる。たぶん、家に帰ったら、疲れと共に虚しさや悲しさも一緒になって押し寄せるだろう。
そういう人を見かけると、何とかその人の笑顔を自然な心からの笑顔に変えてあげたいと思う。人を笑顔にしたいなんておこがましいけれど、笑顔を伝染させるくらいは自分にもできるかもしれない。その人が少しでも楽に笑えたら、どんなに素敵だろう。自分と話している人が、気づいたら微笑んでいたら、どんなに素敵だろう。きっと、そこが自分の居場所だって思えるんじゃないだろうか。
“人の笑顔が消える瞬間が怖いから笑っている”から“人の笑顔が好きだから自分も笑っている”と思えた時、少し自分が好きになった。長い人生、せっかくだからもう少しだけ自分を好きでいたいと思う。