おうばく通信
おうばく心理室コラム
2020年4月 5日 (日)
【おうばく心理室コラム/2020年4月】「新型ウイルス禍について思うこと」
ご周知のとおり、新型ウイルスの騒動が全世界に広がっています。メディアでも日々報道されているように、幅広い業界に多大な影響が及んでおり、いち早い収束を願うしかない状況です。
私たち病院職員も、万が一にも自分がキャリアとなって患者さんやスタッフにウイルスをうつしてはならないので、出勤前の検温とマスク着用、消毒等を徹底しています。院内にはご高齢の患者さんや疾患をお持ちの患者さんも多数おられるため、何があってもウイルスを院内に持ち込んではならないという共通意識のもと、スタッフの皆が一丸となって業務に臨んでいます。ただ、マスクや消毒液の全国的な不足によって使用を切り詰めなければならない場面があるなど、ギリギリのやりくりを迫られる状況があるのも事実です。
新型ウイルスについては世間でもさまざまな意見が交わされており、今さら私などが何か言うような余地は皆無なのですが、前半ではストレス心理学の観点から個人的に心がけていることを書いたうえで、最後に、新型ウイルスをとりまく昨今の論調のなかで疑問を感じる点について私見を少し述べてみたいと思います。
まず、ウイルスへの対策としては、「個人レベル」と「社会レベル」に大別されます。個人レベルというのは、一人ひとりの個人が意識して対応していくポイントです。社会レベルというのは、地域コミュニティから都道府県、国家レベルまで規模なさまざまですが、社会集団として対応していくポイントです。
もちろん、個人レベルと社会レベルは密接に関わりあっていて、切り離せるものではないのですが、本コラムではより身近な、個人レベルの事柄について書いてみたいと思います。
個人レベルの対応はさらに、「ウイルスを取り込む(&広げる)可能性の低減」と「自分の免疫力の増大」とに大別されます。
前者については、手洗いやマスク着用といった情報が多く周知されている通りです。後者については、基本的には「しっかり食べて、よく寝る」ことに尽きるのですが、ストレス心理学の観点からはもう1点、「闘争・逃走状態(交感神経優位)に偏らないよう、リラックス状態(副交感神経優位)を心がける」ことが挙げられます。
私たちはストレスに直面すると、自律神経の働きによって自動的に闘争・逃走状態(交感神経優位)になります。眼前の敵(原始時代であれば猛獣など)を倒すか、敵から逃れるかするため、心拍が激しくなって骨格筋への血流が増大し、血糖値も上昇して、心身ともに臨戦態勢となります。体内の限られた資源が闘争・逃走に回される結果、ウイルスへの免疫力は犠牲になって低下してしまうのです。
このような状態は、国で言えば戦争状態で、国家予算の多くが軍事費に回される結果、医療や社会福祉への予算がカットされるようなものです。対外的な腕っぷしは強くなるものの、対内的な国民の健康はどんどん後回しにされてしまうわけです。
目の前の猛獣をやっつければ問題が解決した原始時代であれば、このようなメカニズムは適応的に作用していました。しかし現代社会では、ストレスとなる敵は猛獣ではなく、日々の業務や上司との関係、社会問題、家庭問題などです。そうなると、いくら闘争・逃走状態になったところで問題は解決せず、それどころか臨戦態勢に伴う弊害ばかりが私たちを苦しめることになってしまうのです。
したがって今、私たちが新型ウイルスへの免疫力を高めるためには、限りあるリソース(国家予算)を、対外的な腕っぷし(軍事費)ではなく、対内的な充実(医療費・社会福祉費)に回すことが大切です。日々のストレスに対してイライラしたり、カチンと来たり、ぐるぐる考えたりするのではなく、気持ちを切り替えてリラックスしたり、笑ったり、楽しんだりするほうが、ウイルスに対する免疫力もUPすると考えられます。
具体的には、仕事でイヤなことがあった日でも、それをずっと引きずるのではなく、帰宅したら軽い運動をして気分転換したり、お茶を飲んで一息いれたり、ゆっくりお風呂に入ってくつろいだり、お笑い番組を見て笑ったりするよう心がけています。
蛇足ながら、一流のアスリートたちは意外と免疫力が低く感染症にかかりやすいことが知られています。普段から厳しいトレーニングで追い込んだり試合で闘ったりしている彼らは驚くような筋肉や体力を持っているわけですが、それらは免疫力を犠牲にしたトレードオフ~闘争的な生活や激しい運動によって交感神経が優位になりがちであるうえ、体脂肪を極度に絞り込んだりもするため、免疫力が低下してしまう~のうえに成り立っているのです。言わば、競争に特化したF1カーのようなものでしょうか。
したがって、オリンピック会場など不特定多数が集まるところに選手たちが出場するリスクは、もしかすると私たち一般人よりも高いのかもしれません。
閑話休題として、昨今の論調のなかで気になるのは、「新型ウイルス禍は自然の摂理であるから、とりたてて対策を講じても仕方がない」「新型ウイルスが重症化するのはほとんどが高齢者や病者であり、これから社会を支えていく若年層ではあまり重症化しないのだから、大騒ぎせずに受け入れたらいいのではないか?」といった内容の放言です。このような主張をしているのは、ごく一部の人だけなのかもしれませんが、それでもネットなどで時折目にすることがあり、強い疑問を感じてしまいます。
たしかにウイルスの流行は自然の摂理であり、その背景には世界人口の増加や交通手段の発達、医療の進歩に伴う高齢化社会といった要因もあるでしょう。ただ、これらはあくまでも文明の成熟による前進であって、(それゆえの脆弱性という負の側面はあるにせよ)私たち人類が選び歩んできた正の道であるはずです。
「自然の摂理」であることと、「高齢者や病者は淘汰されて構わない」という考えかたとは、決してイコールではありません。両者をイコールで結ぶ考えかたは、「社会的弱者は消えればいい」というナチス的思考につながるように思います。
こういった意見を唱える人たちは、高齢を迎える自分の親や親族、恩師などにも同じセリフが言えるのでしょうか? 近い将来、自分自身が高齢となったときにも、同じセリフが言えるのでしょうか?
私たち人類は、みんなで力を合わせることでここまで発展してきた存在です。共通の敵が存在するときにはなおさら、一致団結して立ち向かう力を持っています。互いが個人の利益や小集団の利益だけを追求する社会は長くは続きません。そうではなく、より全体的な幸福のために皆が協力できる社会こそが、成熟した平和な世界につながると信じています。
そして今回の新型ストレス禍も、共通の「見えない敵」に対して皆が力をあわせて立ち向かう知恵を私たち人類は持っているはずです。まずは自分にできることを意識しながら、人類の偉大な力を信じたいと思っています。
文責:臨床心理士・名倉