おうばく通信
おうばく心理室コラム
2020年1月 5日 (日)
【おうばく心理室コラム/2020年1月】「依存症になりにくい人、なりやすい人」
『薬物依存症』(松本俊彦・著 ちくま新書)という著書を読んでいて、興味深い記述に出会いました。
世の中には、薬物に依存せずにすむ人もいれば、依存症になってしまう人もいます。ハマらない人と、ハマってしまう人の違いは何か? というわけです。
普通に考えると、薬物が手に入りやすい環境にいるかどうかという要因があるかと思います。一般的な社会人はコカインやMDMAといった違法薬物にアクセスできる可能性は低いでしょうし、芸能など華やかな世界に身を置く人たちはそういった違法薬物にアクセスできる可能性が高いと言えるでしょう。
ただ、違法薬物を経験した人のすべてがハマってしまうわけではありませんし、アルコールやタバコなどは誰でも入手できて実際に経験した人も多いはずですが、依存症になってしまうのはその中の一部の人々です。
では、ハマらない人と、ハマってしまう人の違いは何なのか?
もちろんひとつの要因だけでなく、いくつかの要因が絡み合っているとは思いますが、著書で紹介されていて印象に残ったのは、次のようなポイントでした。
薬物の使用が「正の強化」に基づいていれば依存症になりにくいけれども、「負の強化」に基づいていると依存症になりやすい。
唐突に専門用語が出てきて分かりにくいかもしれませんが、これは心理学の条件付けに関する基礎的な理論です。簡単に補足説明しますと、人間の学習行動を規定する要因として次の4つが挙げられます。
◆「正の強化」:ある行動を取ると、自分に新たなプラス事象が加わった場合、人はその行動を取るようになる。(例:家の洗濯物を畳んで母親からケーキを与えられた子どもは、その後、すすんで洗濯物を畳むようになる)
◆「負の強化」:ある行動を取ると、自分のそれまであったマイナス事象が減った場合、人はその行動を取るようになる。(例:頭痛が続いているとき鎮痛剤を服用して痛みがおさまった人は、その後、頭痛が出てくるたびに鎮痛剤を服用するようになる)
◆「正の罰」:ある行動を取ると、自分に新たなマイナス事象が加わった場合、人はその行動を取らなくなる。(例:飲み会で終電を逃して妻から激怒された夫は、その後、終電には帰宅するようになる)
◆「負の罰」:ある行動を取ると、自分のそれまであったプラス事象が減った場合、人はその行動を取らなくなる。(例:上司の意見に反論してボーナスを減額された社員は、その後、上司の意見に反論しなくなる)
つまり、普段の生活に満足している人がプラスαの嗜みとして薬物を用いるなら依存症になりにくいのですが、普段の生活に苦痛を抱いている人がその軽減を目的に薬物を用いると依存症になりやすいというわけです(この場合の薬物は麻薬など非合法なものだけでなく、アルコールや市販薬も含みます)。
これはどうしてかと言うと、私たちはプラスの状態(快楽や幸福)には慣れて順応しやすい一方、マイナスの状態(苦痛や孤独)には順応しにくい傾向を持っているためと考えられます。これは幸福順応と呼ばれる法則です。
上の例であれば、ご褒美にケーキをもらうと最初のうちはとても嬉しいでしょうけれど、毎日同じケーキを食べるうちに飽きてきて、欲しい気持ちは次第に低下してくるのではないでしょうか? しかしながら頭痛のほうは慣れるのが難しく、毎日鎮痛剤を服用していても「飽きる」ことなく、むしろ毎日手放せなくなるのではないでしょうか?(これは頭痛のような身体の痛みだけでなく、寂しさ・空虚感・劣等感・自己無価値感といった心の痛みでも同様です)。
私たちの本能的なメカニズムとして、苦痛や孤独などマイナスの状態に慣れてしまうのは、自分の生存可能性を低めてしまうので具合が悪いのでしょう。ケガをしている状態で痛みに慣れて何も感じなくなってしまえば、傷口をかばうことなく無理をしてしまい、ケガを悪化させてしまいます。だからこそ、具合が悪いあいだは痛みが続き、それに慣れることのないよう私たち動物は進化してきたものと思われます。
片や快楽や幸福は、一定レベルで満足するよりも、しばらくしたら慣れてより高みを目指す固体のほうが、生存競争をより有利に進められます。その日の食糧が手に入れば「足るを知る」で満足する人よりも、それでは飽き足らず一週間分、いや一ヶ月分と食糧を確保しようとする人のほうが、より多くの子孫を残せたことでしょう。
冒頭に紹介した著書には、「楽園ネズミと監獄ネズミ」という象徴的な動物実験が紹介されます。
楽園ネズミは自然環境や遊具に恵まれた広いスペースで、雌雄が複数ずつ入れられて過ごします。一方、監獄ネズミは金網の檻の中で、一匹ずつ閉じ込められて過ごします。そしてどちらの空間にも、「普通の水」と「モルヒネ入りの水」が常に用意されています(モルヒネはネズミにも快楽を得たり苦痛を軽減したりする作用があります)。
その結果、楽園ネズミのネズミたちは楽しそうに遊んだりじゃれ合ったりして過ごし、モルヒネ水をあまり飲もうとしなかったのですが、監獄ネズミのネズミたちは始終モルヒネ水を飲み続けました。ここまでは「負の強化」の理論通りですが、実験にはさらに続きがあり、監獄から楽園に移されたネズミは、その後禁断症状を起こしながらもモルヒネ水を飲まず、普通の水を飲むようになったのです。
依存症患者を減らすためには、厳罰化するだけでは限界があって、厳罰化はむしろ依存症からの立ち直りを妨げてしまう可能性があると言われます。罰が大きくなったり孤立が進んだりするとそれだけ苦痛が大きくなり、その苦痛を軽減しようとして再び唯一の「よすが」である薬物に当人を追いつめてしまうからです。
そうではなく、薬物がなくても一定の満足が得られるような生活環境を育んでいくこと、そのためのサポートを周囲が担っていくことが非常に大切です。さらには「薬物をやめているとこんなに素敵なことがある!」という正の強化も重要です。サポート源は家族や友人が最も近しい存在ですが、距離が近すぎて適切な関わり合いができない場合は、自助グループや治療者によるサポートも有効です。
とりわけ心の痛みを軽減するため薬物に頼ってしまったケースでは、心の痛みそのものを解決するための治療やカウンセリングが必要とされます。薬物依存は世間的には「意志の弱い快楽主義者」と思われがちですが、それよりも「苦しみを薬物で紛らわせているうちに抜け出せなくなった」人たちのほうが多いのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、依存症は自分ひとりでやめようとするよりも、仲間や治療者との協同の中で取り組むほうが改善しやすい疾患です。私たちカウンセラーにもお手伝いできることがあるかもしれませんので、もしお悩みのかたがおられましたら、よければ一度ご相談にお越しください。
文責:臨床心理士・名倉