おうばく通信
おうばく心理室コラム
2019年10月 5日 (土)
【おうばく心理室コラム/2019年10月】「おためごかしの心理学」
「おためごかし」という言葉があります。
広辞苑によると、「表面は相手のためになるように見せかけて、実は自分の利益をはかること」とあります。本来であれば素直に「自分は○○したい」と言えば済むところを、「○○すれば君のためになると思う」といった物言いにすり替えるやりかたです。身に覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか(笑)。
たとえば、次の休日をどう過ごすかで迷っているご夫婦で、奥さんは美術館に行きたい一方、ご主人は家でゴロゴロしていたいケースがあるとします。このような場合、通例であれば、次のような会話になるでしょう。
奥さん:「今度の日曜、見に行きたい展覧会があるんだけど一緒にどう?」
ご主人:「うーん。ここのところ土曜も仕事で疲れ気味だし、正直言うと今週末は家でのんびり過ごしたいなあ」
奥さん:「そうか…。じゃあ私ひとりで観てこようかな」
ご主人:「つれなくてゴメンな。また仕事が落ち着いたら一緒に出かけよう」
わりとありがちな会話ではないでしょうか。しかしここで、おためごかしが発動されると次のような展開になります。
奥さん:「今度の日曜日、見に行きたい展覧会があるんだけど、どう?」
ご主人:「その展覧会、まだ混んでるだろうし、やめておいたほうがいいと思うよ。家事もたいへんだろうし、たまには家でゆっくり休んだらどう?」
奥さん:「私は少々混んでても大丈夫だけど…」
ご主人:「いや、やめといたほうがいいって。それに一昨日も、頭が痛いって言ってたよね。無理せず家でゆっくりしたほうが身のためだよ」
奥さん:「うーん…そうかなあ」(釈然としない)
本来であれば、「相手の希望を、自分の都合によって却下する」という流れのやりとりであり、それに伴う「相手に対する借り」や「相手への謝罪」をこちらが引き受けるべきエピソードです。しかしおためごかしでは、これを相手の問題にすり替えることによって、自分に責任が降りかかるのを巧妙に回避しています。それが相手からすると、うまいこと丸め込まれたようなモヤモヤ感につながったり、場合によってはその籠絡が透け見えて辟易したりするのでしょう。
私たちは基本的に、自分の得になるよう行動する特性を持っています。自分の利益をちゃんと確保する性質を持っていなければ、これまでの人類史における長い生存競争を生き抜いてこれなかったからです。
一方で私たちは、相互に協力し合って生活する社会的動物でもあるので、「自分の個人的利益」と「所属集団の全体的利益」との板ばさみの中で社会生活を営んでいる存在です。自分の利益ばかり求めると周囲から総スカンを食って社会的不利益を被るし、かといって周囲の利益ばかりを優先すると自分は損してしまう。
おためごかしは、このような葛藤の中、利他性という隠れ蓑に利己性を隠して、自分の利を大きくしようとする小賢しい方略なのでしょう。
「情けは人のためならず」という言葉があります。人に情けをかけて親切にしておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来るものだという意味で、利己主義と利他主義の関係を端的に表しているアイロニカルな言葉です。ただ、こちらのほうは、「私はあなたに親切にしてあげるから、あなたも私が困っているときは助けてね」というメッセージであって、実際に相手を助ける行動が取られているぶん、お互いに平等な取引きです。
一方でおためごかしのほうは、「本当は私の利益を目的とした提案だけど、あなたのためにもなるんだから、私の言うことをありがたく聞きなさい」というメッセージですから、自分の身銭を切ることなく益だけを得ようとしている点でズルさ満点です。
誰しも多少のズルをしてしまうことはあるでしょう。ただ、大切なのはそういう自覚をきちんと持つことだと思います。「今の自分の親切心、情けは人のためならずだなあ」とか、「ついつい、おためごかし言っちゃった~! 今度なにかで埋め合わせしよう」とかいった具合に、自分の言動を客観視できてればまだいいのですが、それを善意だと自分で錯覚してしまうと、相手おかまいなしの押しつけになってしまいがちです。
自分に都合のいい合理化も時と場合によっては使っていいと思いますが、基本的には、自分の意見や要望は自分を主語にして伝えて、その責任もきちんと引き受けるのが原則です。おためごかしの無自覚な濫用にはくれぐれもご注意を……。
文責:臨床心理士・名倉