おうばく通信
おうばく心理室コラム
2019年9月 5日 (木)
【おうばく心理室コラム/2019年9月】「トラウマ記憶を乗り越えるために~2種類の記憶のしくみ」
先日、『精神科医が教える、忘れる技術』(岡野憲一郎・著 創元社)という著書を読んでいて、トラウマ記憶が忘れられない理由について「なるほど!」と膝を打ちました。今まで自分がカウンセリングの中で感じていたことに、科学的・理論的な裏打ちを与えてもらったような感覚があったのです。
そこで今回は、著書の内容を一部引き合いに出しながら、カウンセリングでの実感も織り交ぜつつ、トラウマ記憶が私たちに悪影響を長くおよぼし続けるメカニズムと、その対処法とについてご紹介したいと思います。
私たちは日々さまざまな記憶を重ねながら暮らしていて、その中には「ポジティブな記憶」(=快。楽しかったこと、嬉しかったことなど)もあれば、「ネガティブな記憶」(=不快。苦しかったこと、悲しかったことなど)もあるのが通例です。
両者は同じように記憶されるわけではなく、ポジティブな記憶よりもネガティブな記憶のほうが脳に刻み込まれやすいと言われています。私たちの祖先は厳しい自然環境を生き延びるため、楽しかった出来事を思い出すよりも、苦しかった出来事を思い出して危険を回避するほうを優先させなければならなかったのでしょう。
このことは現代社会においても同様で、ネガティブな記憶が私たちの忍耐力を育んだり、危険を避ける知恵につながったりしているメリット面は大きいと思われます。
したがってネガティブな記憶は、不快ではありますが、私たちの生存や成長にとって必要不可欠で大切なものです。ただ、あまりにも強烈な体験は「トラウマ記憶」と呼ばれる、私たちの心をむしばむ記憶になってしまう場合があります。
トラウマ記憶というのは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の原因となり得る、いわば悪性の記憶です。暴力や交通事故、震災といった強烈な恐怖を体験した人が、その後も突然のフラッシュバックなどの形で恐怖を追体験して、正常な日常生活を過ごせなくなってしまうのです。
ここで少しだけ、脳と記憶の関係について触れておきます。
ある出来事を体験したときに私たちの脳に刻まれる記憶は、「身体と感覚・感情の記憶」(→手続き記憶)と「言葉とイメージの記憶」(→宣言的記憶)の2つに大別されます。たとえば新しいクルマを購入した場合であれば、それぞれ次のようになります。
「身体と感覚・感情の記憶」(→手続き記憶)procedural memory
情報を処理する過程(プロセス)の記憶。「座ったシートの感触」「シフトレバーの操作感」といった身体感覚や、「はじめてアクセルを踏んだときの緊張と高揚」といった感情が含まれる。脳の扁桃体で産生される。
「言葉とイメージの記憶」(→宣言的記憶)declarative memory
言葉やイメージで表現できる、事実に関する記憶。「トヨタの青いプリウスを買った」といった意味的な情報や、「近所のディーラーで試乗して気に入ったので買った」といったエピソード的な情報が含まれる。脳の前頭葉でイメージが浮かび、それが海馬に記憶される。
脳の扁桃体と海馬は密接に関連しあっていて、扁桃体で産生された「身体と感覚・感情の記憶」は、前頭葉と海馬で産生された「言葉とイメージの記憶」としっかり結び付いて、両者の情報が連結した正常な記憶として保存されます。上の例で言えば、「近所のディーラーで青色のプリウスに乗ってみたら、心地よいシートの感触やキビキビしたシフトレバーの操作感がすっかり気に入って、その場で購入を決めた」という具合です。
そして基本的には、強い感情を伴う出来事ほど強く記憶に刻まれます(→Papezの回路)。扁桃体が強く反応すると海馬の働きも活性化して、より鮮明に記憶が貯蔵庫(=海馬)に保存されるのが正常な記憶の反応です。
しかし、例外があります。異常に強い感情が生じた場合、反応が昂ぶり過ぎた扁桃体は海馬の働きを逆に抑え込んでしまい、記憶が貯蔵庫(=海馬)に保存されなくなるのです。
例えるなら、正常な記憶は、扁桃体の「身体と感覚・感情の記憶」と海馬の「言葉とイメージの記憶」の両者がジグソーパズルのピース同士のようにぴったり噛み合って、角が取れた無害な完全体になって長期記憶の貯蔵庫に保存されます。このように整理されて貯蔵庫に入れられた記憶は、次第に底に沈みながら風化していきます。これが健常な忘却という現象です。
一方、異常なトラウマ記憶は苦痛や恐怖があまりにも強烈過ぎて、扁桃体の「身体と感覚・感情の記憶」が単独で暴走してしまいます。その結果、いつどこで何があったかという「言葉とイメージの記憶」と噛み合わないまま、角のある不完全体の状態で心の中をさまよい続けることになります。長期記憶の貯蔵庫に保存できないので、底に沈んで風化することもなく、いつまでも単独で暴走してフラッシュバックなどの悪さを引き起こすのです。
フラッシュバックという現象は、もともとは戦争で一命を取りとめた兵士に認められた症状でした。戦場から帰国してからも、日常生活でのちょっとした音(台所や掃除機など)にも砲弾の爆発などが脳裏によみがえり、パニック状態に陥ってしまうのです。その後、大震災や暴行、交通事故などさまざまな出来事によって、同様の現象が起こり得ることが報告されてきました。
このような反応は、見方によっては自分の身を守るための本能的方略と言えますが、本人の心が蝕まれて社会生活を送れなくなる等デメリットのほうが大きいケースでは専門的な治療が急務となります。
どのような治療が行われるかについては、薬物療法に加えてEMDR、認知行動療法、精神分析、その他さまざまな技法や考えかたがあり、ここで一括りに論じることはできませんが、ひとつヒントとなるエピソードが著書『精神科医が教える、忘れる技術』に掲載されていました。
それは、解剖学の大家である養老孟司先生の体験談です。養老先生は幼少時、父の他界というショッキングな出来事に直面したとき、親族から「お父さんにさよならを言いなさい」と促されたのですが、どうしてもそれが言えないまま葬儀を終えてしまったのだそうです。
それ以降、養老先生は誰に対しても挨拶を言うのが苦手で、ご自身でも理由がよく分からず悩んでいたらしいのですが、大人になってからのある日、父親の他界が自分の挨拶への苦手意識につながっていることにふと気づいたとき、はじめて父親の死を実感して涙があふれたといいます。そして、この経験を境として、父親の思い出が頭に浮かぶことがなくなったというのです。
トラウマ的な記憶の改善にカウンセリングが有効である理由は、おそらくこの辺りにあるのだと思われます。あまりにもつらかったため自分だけでは振り返って整理するのが難しい経験を、カウンセリングという安全な守られた枠組みの中で話すことによって、噛み合わないまま脳内をさまよっていた「身体と感覚・感情の記憶」が少しずつ「言葉とイメージの記憶」とつながり、正常で完全な記憶となって長期記憶の貯蔵庫に保存されていく。それに伴って、毒性を持っていた不完全な記憶が静穏化していくのでしょう。
実際のカウンセリング場面でも、過去のつらかった体験を思い出して少しずつ言葉にしていくプロセスを通じて、当時のエピソードと情景・感情がつながっていき、ご自身の体験を客観的に見られるようになっていかれるケースを何度も経験しています。
時期尚早な言語化や安全でない状況下での言語化はご本人にとって侵襲的な直面化を強いることになり、傷口をさらに広げてしまう危険性がありますが、ご本人を脅かさない環境下でゆっくりと言語化していくプロセスは、トラウマ治療において非常に大切なものです。
トラウマ的な体験を乗り越えられずにおられるケースには、カウンセリングが有効な場合もあります。私たちが少しでもお力になれるかもしれませんので、よければご来談いただけましたら幸いです。
文責:臨床心理士・名倉