おうばく通信
おうばく心理室コラム
2018年12月 5日 (水)
【おうばく心理室コラム/2018年12月】「同じ目標に向かっているのに対立してしまうワケ」
ある脚本家さんが、プロデューサーや監督と意見が対立したときにそれを打開するコツとして、次のようなことを述べておられました(文面はうろ覚えですが、おおよそこんな内容だったかと)。
「お互いに考え方の相違があって、擦り合わせられず平行線になりかけることがある。ここで相手の言いなりになるのは脚本家として無責任だし、かといって頑なに自分の意志を押し通せばいいものでもない。そこで私が口にするのは、『あなたと私、言っていることは同じですよね』という一言。物づくりに対する情熱は共通しているんだと認識することで、お互いに協調と譲歩の気持ちが引き出される」
なるほどと思うと同時に、私たちのカウンセリングにおいても同様の構図が見受けられるように感じました。一見すると双方が対立して真逆のことを主張しているようであっても、実は「言っていることは同じ」で、お互いがそれを認識することで対立関係が緩和するケースがしばしばあります。
たとえば、「夫婦間での衝突が絶えずギスギスした関係が続いている」という悩みで来談されたかたの場合、お子さんへの教育ひとつとっても、妻氏は「子どもが小さいうちから塾に通わせないと!」とお考えである一方、夫氏は「子どもが小さいうちは自由に遊ばせるべき!」とお考えで、「塾通い VS 遊ばせる」という対立の構図になっていたりします。
どちらの考えかたが正しいのかは教育の専門家のあいだでも意見が分かれるところですし、そのお子さんの性格に左右される部分もあるので一概には言えないでしょう(個人的には、どちらも要はバランスが大切だと思いますが)。
ただ、ひとつ確かなのは、「妻氏も夫氏も、我が子のよりよい将来を願う強い気持ちを持っておられる」点です。塾に通わせる提案にしても、自由に遊ばせる提案にしても、どちらも根底は「我が子がこの先、よりよい人生を過ごせるようになってほしい」という愛情に端を発しているのです。
このことをご両人に再認識していただくだけで、それまで対立だった構図が、協調へと改善されることが多々あります。「自分たち夫婦は敵対し合う存在だと思っていたけれど、実際はそうではなく、子どもの幸せという共通の目標に向かって努力していたんだ」「ただ、目標への向かい方に考え方の相違があっただけなんだ」と。
もっと単純化した例で述べると、原始人たちが集団でマンモス狩りに出かけた際、ある者は「石器で狩るのがいい!」と主張し、別の物は「火で狩るほうがいい!」と主張して、お互い譲らずに取っ組み合いのケンカをおっ始めたとしたらどうでしょう?
傍目には「そんなことで内輪揉めするエネルギーがあるならマンモス狩りに向けなよ」「石器も火も両方うまく使い分けて協力したらいいじゃないの?」と言いたくなるでしょうけれど、自分の意見が聞き入れられなかったことで立腹している当人たちは視野が狭まり、白か黒かという二者択一的な対立思考に陥っているのです。
子育てひとつで対立するご夫妻の場合も同じく、傍目には「勉強と遊び、どちらも大切なんだし、そんなことで夫婦喧嘩するエネルギーがあるなら子どもへの愛情に向けてあげなさいよ」と言いたくなるかもしれませんが、ご夫婦がこのように思えるようになるにはまず、基本的な構え(前提)を対立から協調へとシフトチェンジできている必要があります。だからこそ、「自分の意見を通したい」という小目標へのこだわりから脱却して、「子どもの幸せを願っている」という大目標を双方に再確認していただくことが大切なのです。
私たちは「共通の敵」があると協調できる性質を持っていると言われます。この場合、「共通の敵」は非常に分かりやすい大目標なので見誤ることがなく、内輪揉めを起こすことなく一致団結できるのでしょう(極例だと宇宙人が地球を攻めてきたら、どの国同士も戦争などせず、地球軍として団結して宇宙人に立ち向かうことでしょう)。
しかし家庭や職場といった日常場面では、大目標が当たり前になりすぎて逆に見えにくくなる傾向もあるように思います。
私たちは基本的に、多くの場合「よかれと思って」行動しています。誰しも状況をあえて悪くはしたくないですし、相手から嫌われたくもないものです。そうであるにもかかわらず衝突や争いが絶えないときは、もしかすると共通の大目標よりも、眼前の小目標にお互いが拘泥していることに原因があるかもしれせん。
こんなときは少し立ちどまって、お互いの本当の目標が何なのかを見つめ直してみるのが得策です。それでも解決の糸口が見えないときはカウンセリングがお役に立てるかもしれませんので、選択肢のひとつとしてご一考いただけましたら幸いです。
文責:臨床心理士・名倉