おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2018年10月 1日 (月)
月刊きょうと/「秋の夜長」(2018年10月)
今回はペンネーム西陣の茶人さん(男性)に、日本の詩歌や茶の湯の魅力についてご紹介いただきました。
今年も、早十月になりました。私は、趣味に茶の湯や俳句を親しんでおり、旧暦や二十四節気には敏感です。先月二十四日は仲秋の名月でしたね。芋名月とも言い、それを模した菓子を茶の湯ではいただきます。この頃の季語としては、秋の暮、秋祭、案山子、菊日和、栗、後の月、紅葉などがあります。
秋の七草(萩、尾花、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう)とされています、万葉集の山上憶良の歌では、桔梗の代わりに朝顔をいれますが、この朝顔が何であるかについては諸説があります。日本の詩歌を愛好する方は、万葉集まで遡る方が多いようです。万葉集を母国語で読めるのは、日本人の私としては幸せです。ロシアではドストエフスキー、イタリアではダンテ、イギリスではシェイクスピアなどの古典が母国語で読めたらどんなに良いかと思います。母国語だから言葉に敏感になり、古典を深く理解できます。
三夕の和歌(「新古今和歌集」)というものを紹介します。
寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮法師)
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行法師)
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)
「秋の夕暮れ」という言葉が、このようなイメージをもたれ、その後の詩歌に大きな影響を与えています。このように言葉には歴史があり、意味があります。
私見ですが、言葉の感覚に鋭い人は、自分の表現にも気をつかっておられます。言葉の感覚を養う方法でてっとり早いのは、読書です。本を読む方、読まない方では、言葉の感覚には大きな差があると思っています。
例えば、「主人公」という語は、禅語で有名な語ですが、知っている方は、禅語であることを知って使われています。
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茶の湯の世界では、十月は中置の点前の時期です。中置とは、風炉点前の際、道具畳の中心に風炉を置くことを言います。十月初旬の開炉までの時期に行います。火気が恋しくなる時季に、客の方へ風炉を近づけ、反対に水指を勝手付の方へ遠ざける心尽しの扱いです。茶の湯のそんなことにも季節の移り変わりを感じます。
秋の夜長ですし、灯火親しむべき候なので読書もいいですが、茶道での「花月」という稽古も楽しいものです。
「花月」とは、ゲーム感覚のある稽古で、5人一組で札を回し、花の札が当たった人は点前を、月の札が当たった人は茶を飲むというものです。茶道初歩の方は、なかなか人と合わせて稽古をするのが難しいものですが、茶道歴の長い方とすると楽しいものです。いつもの稽古より雑談も多いです。この稽古は、点前などの呼吸など学ぶべきところがたくさんあります。私はそんなことで、秋の夜長を過ごしています。
最後に、芭蕉の一句を紹介して終わります。
秋深き隣は何をする人ぞ