おうばく通信
おうばく心理室コラム
2018年6月 5日 (火)
【おうばく心理室コラム/2018年6月】「高いワインが美味しい理由~脳科学と心理学の見地から~」
バラエティ番組などで見かけるドッキリ企画のひとつに、「高級レストランでコースメニューを市販の冷凍食品とすり替えてテーブルに出したら、客は気づくか気づかないか?」というのがあります。
番組の展開としては、ほぼ100%の客がすり替えに気づかず、スーパーで普通に売っている冷凍スパゲティをほお張りながら、「やっぱり有名シェフが作る料理は違うよねえ」「パスタの茹で加減も絶妙だし、ソースもすごくコクがあって美味しい~」などとコメントして、番組スタッフや視聴者の笑いを取るのがお決まりのパターンです。
これがヤラセでないとして(そう信じたいところです)、同じ料理でも状況によって味の感じかたが変わるという現象は、一般的にもしばしば見られることでしょう。ドッキリ企画のように客を騙すまではいかずとも、「スーパーで買ってきた惣菜や冷凍食品を立派なお皿に盛りつけてみたら、いつもより美味しく食べることができた」といったエピソードは、ご家庭でもよくあるのではないかと思います。
話は少々脱線しますが、筆者の知人のご家庭で、日頃は手料理を作っている奥様がたまたま忙しくて、普段は手作りしているシュウマイを冷凍食品で済ませたとき、せめて食器だけでもと九谷焼のお皿に盛りつけたところ、それを口にしたご主人から「ずいぶんと料理の腕を上げたねえ」と言われて、食卓の空気が一瞬凍りついたそうです(笑)。奥様がひきつった笑顔で事実を伝えると、ご主人は冷や汗をかきながら「お皿が立派だと美味しく感じられるね!」と必死にフォローされていたとのことですが、この件についてはご夫妻の名誉のためにも、食器が味覚に与える影響はかくも大きいのだ! ということにしておきましょう(まァ、食品業界における冷凍技術の進歩も大きいとは思うのですが……)。
閑話休題として、こういった現象は従来、心理学的には「プラセボ効果」(バイアス効果)として扱われがちでした。このクスリはよく効くんだと思って服用すると、本当によく効いてしまうというのがプラセボ効果です。本物のクスリに匹敵するくらい大きな効果を発揮することが多いので、製薬会社の開発陣にとってはいつも悩みの種となっています。
そして近年の脳科学では、脳領域における電気生理学的測定の側面からも、こういった現象が裏付けられています。
たとえばプラスマンという心理学者の実験(Plassmann et al., 2008)では、同一のワインの片方には10ドルの値札を、もう片方には90ドルの値札を貼ったうえで、参加者にテイスティングしてもらったところ、予想どおり参加者たちは「90ドルのワイン」のほうが美味しい」と知覚しました。さらに、そのときの参加者の脳を調べると、「90ドルのワイン」を飲んだときには、喜びと結びついた脳領域がより活性化されて、味覚自体の変化を生みだしていることが判明しました。つまり、単なる錯覚ではなく、実際に味覚が変化してワインが美味しくなっていたのです。
では、実際よりも高い値札を付ければなんでも美味しくなって良いかというと、そうもいかないのが私たちの心の複雑なところです。たとえば、1万円の高級ワインを店で注文して、実際に飲んでみたらあまり美味しくなかったらどうでしょうか? 「1万円もするワインだからとても美味しいに違いない」という期待値に対して、「あまり美味しくない」という現実がマイナスのギャップを引き起こして、強い不満が生じやすいと考えられます。
味覚に限らず映画などでも、「○○監督の新作だから面白いに違いない!」と期待して観に行ったときに限って、思ったほど面白くなくてガッカリすることが多かったりするものです。
人間関係の問題も、その多くが期待と現実のズレに起因していて(これが対人関係療法の基本的な枠組みです)、私たちは相手に抱いている期待を相手が満たしてくれないとき、怒りや失望といったネガティブな感情を抱くという法則があります。
対象物や相手への期待値を高く設定すると、それが満たされずにストレスを感じる可能性も高くなるのです。
そして、私たちの心はさらに複雑です。
1万円の高級ワインがあまり美味しくなかったとき、そのままだと「このワインを選んだ自分の判断は誤りだった」という不都合な事実を認めることになります。これは心理的に不快なことなので、ワインに対する「あまり美味しくない」という評価を、「渋みが強くて飲みにくい」というマイナス面と、「コクが深くて風味豊かだ」というプラス面とに分けたうえで、そのプラス面しか見ないようにする機制が働きます。
すると、「私が選んだ1万円の高級ワインは、渋みはちょっと強いけれど、とてもコクが深くて風味豊かで、さすが1万円するだけのことはある。私は正しい選択をしたのだ!」と自己欺瞞して、気分良く過ごすことができるのです。これが「認知的不協和」と呼ばれる理論です。
ワインの値段ひとつでこれだけアレコレ右往左往する私たちの心。やっかいな存在だなァと思われるかもしれませんが、逆に言うと私たちは日々、こうやって心の安定を保っているのでしょう。
ちなみに話題の本筋ではありませんが、ワインの実際の美味しさは値段に比例するわけではなく、高級ワインになればなるほど個性が強くなって飲み手を選ぶのだそうです。私自身はといえば普段1,000円前後のワインしか買わないので、たまに高いワインをいただくと正直、「ん? これって美味しいの!?」と動揺することがあったのですが、これを聞いて、「なるほど、そういうことだったか」と納得したおぼえがあります。
高い値札に対して、喜びと結びついた脳領域が活性化しながらも、舌で感じる味覚はやっぱり渋くてエグみがあるし、これって値段が高いから美味しいハズと期待しすぎた反動かもしれないけれど、でも認知的不協和理論によって「このワインは美味しいはず!」と……。やっぱり、私たちの心ってややこしいですね(笑)。
文責:臨床心理士・名倉