おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2017年12月 1日 (金)
月刊きょうと/「時間の止まった場所で」(2017年12月)
今回は月曜日さん(男性)に、BUCでの時の流れについて書いていただきました。
卒業が近づき、どこか寂しい思いが頭の中に積み上がってきた。その寂しさを紛らわせようと、バックアップセンター・きょうと(BUC)の周辺を歩いてみた。
スーツ姿の人、観光客、専門学校の学生。JR京都駅近くにあるBUC前は、いつもたくさんの人であふれている。烏丸通りと七条通りという大通りがあることもあり、車の通りも多い。どちらを見てもせわしない時間が流れている。一方で、少し足を伸ばすとまた違う風景が見えてくる。
BUCから烏丸通りを上がっていくと東本願寺の屋根が見えてくる。門をくぐると、視界に収まりきれないほどの巨大木造建築が目に飛び込む。その迫力に圧倒される。大きさもさることながら、100年以上前から同じ様相で建っているということにも心を惹かれた。私が生まれるずっと前から、私が会社を休職してもしなくても、ずっとそこに建ち続けている。時間が止まっているような、不思議な気持ちがした。
今度は七条通りを東に歩いていく。すると、広大な駐車場が目に飛び込む。京都駅近くの一等地ともいえる場所で、そこだけぽかんと取り残されたよう空いている。なぜ何も建っていないんだろう。そう考えていると、先日読んだ新聞記事を思い出した。記事によると、その土地は1980年代に地上げが進んだが、バブル崩壊により塩漬けになっていたとのことだ。しかし、観光客が増加している背景もあり、今年になって9階建ての大型ホテルを建設することが決まったのだという。約30年間、時間が止まった空間だった駐車場。そこの時間が再び動き出す。これもまた見ていてなぜか感慨深かった。
他にも、BUCの周辺を歩いた。どこも懐かしい風景だった。昼休みに数人でランチを食べに行った店、スポーツプログラムで体育館に行くときに歩いた道、看護師さんに付き添われて行った100円ショップ、人目を気にしながら入ったカフェ。ここらの時間は止まらずに、どんどん別の建物に変わっていくのだろうか。少しでも、時間が止まり、ゆっくりと進んでくれたらうれしいなと思いつつ、帰路についた。
少しベクトルの違う話かも知れないが、BUCの中に流れる時間も穏やかで、もはや止まっているようにも感じていた。仕事とは違い、私にとっては何かを生み出したり、利益を出したりしなくても良い場所だったからであろうか。それに、社会や会社のためというより、自分のために学びと休養に時間を費やして良いということも大きいのかもしれない。BUCで過ごす私の時間は、良くも悪くも止まっていたように思う。
私はせわしなく動くことが好きなタイプだが、BUCでこういった時を過ごすことで、何もしない時間があっても良い、時間を止めても良いということを教わったような気がする。そういう気持ちになれたからこそ、気持ちが楽になり、焦らずにゆっくり前に進むことができるようになった。
これからはまた仕事で慌ただしい時間のなかを生きることになる。でも、そんな時もBUCを思いだし、あえて時間を止めてみようと心がけようと思う。