おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2017年11月 1日 (水)
月刊きょうと/「住めば都」(2017年11月)
今回はメンバーのたぼやんさん(男性)に、住まわれたことのある妙高の地について書いていただきました。
私は社会人になってから、最初の千葉に始まり、新潟、和歌山、大阪、岡山、奈良と異動してきました。なかでも新潟・妙高での暮らしは、それまで20数年暮らした大阪では経験できないものであり、20年近く経った今でも非常に想い出深いところであります。
最初の赴任地である千葉の勝浦市での5ヶ月の生活にピリオドを打ち、新潟の妙高高原町(当時)に異動しました。異動は9月1日だったのですが、妙高では季節が進んでおり、9月下旬の夜にはストーブがないと困るほどでした。
妙高では、偶然にも大学の友人も一緒に赴任となりました(彼とは、また奈良で一緒に働いています)。私が勤めている宿泊施設は、どちらかと言えば女性の比率が高いのですが、妙高ではその友人をはじめ、先輩や後輩を含めて男性が非常に多い職場でした。そのためもあってか、社宅はある意味学生寮のような雰囲気で、厨房の調理師(彼も友人です)も含めて「濃密な」時間を過ごすことができました。
さて、妙高と言えばその雪の量に驚きます。赴任した2か月後、11月7日に大阪では考えられないほどの積雪がありました。一人で「すごい!11月にこんなに雪が積もっている!!」騒いでいると、地元出身の社員に「そんなの当たり前だよ。これからもっと驚くことになるよ。」と言われました。その言葉どおり、冬のある日の朝起きてみると自分の車がバスの車高ほどの雪に埋もれているではありませんか!まさに雪からの発掘作業です。
それほどの雪があるところですので、社宅から車で5分から10分程度で多くのスキー場に行くことができます。おかげで、スキーにはよく出かけることができました。ただし、うまいかどうかは秘密ですが…(笑)。
また、職場と社宅は生駒山山頂よりも高い、標高750メートルのところにありましたので、コンビニに行くにも車で麓の町まででかける必要がありました。それ以上に大変だったのが日々の買い物。最寄りのショッピングモールまで片道50キロ…。おまけに、最寄りの牛丼屋さん、ビデオレンタル店も片道50キロという環境でしたので、自家用車の走行距離が年間2万キロ以上となりました(スーパーは町内にもありましたが車はやはり必須です)。
そんな過酷(?)な場所ではありましたが、雪解けが進む頃にはフキノトウや水芭蕉が咲きます。また職場の敷地内でミョウガやヤブタケ(ナラタケ)が取れました。より標高が高いところに行くと、文字通り降ってくるような星空で、いつまで見ていても飽きません。また目の前にそびえる標高2,454メートルの妙高山は季節の移ろいと共にいろんな姿を見せてくれます。
そして同じ釜の飯を食った間柄である仲間は、また全国に散らばってしまいましたが、今でも友人としての関係を続けられています。
長距離の転勤は確かに大変なことであります。しかし、若い時にそれを経験できたのが私の財産になっています。まさに「住めば都」です。ただ、今の居住地である奈良の住環境が良く、できれば引っ越ししたくはないのですが(笑)。