おうばく通信
おうばく心理室コラム
2017年7月 5日 (水)
【おうばく心理室コラム/2017年7月】スポーツ選手と依存症
有名なスポーツ選手が依存症に陥って、選手生命を断たれたり逮捕されたりする。このようなニュースがしばしば報道されます。
むやみに個人名を出すのは控えますが、覚せい剤や違法ギャンブルなど法に触れる事件は幾度となく話題になっていますし、法に触れないもの(アルコールやパチンコ等の依存)を含めると、その数はさらに膨れ上がるのではないかと思われます。
もちろんスポーツ選手ばかりでなく、それ以外の一般人もさまざまな依存症に陥ります。ただ、ある大学の調査によると、「体育会系の部員はそれ以外の部員よりもギャンブル依存の傾向が強い」という結果も出ているそうで、スポーツ選手はそうでない人よりも依存症に対してハイリスクなのは事実かもしれません。
もしそうであるなら、どうしてなのでしょうか? そしてどのように対策すればいいのでしょうか? 諸説あるとは思いますし、私は依存症の専門家でも何でもない一介の心理士なので大したことは言えそうにないですが、この場を借りて私見を述べてみたいと思います。
まずスポーツ選手は、次のような点において、私たち一般人と違う生活を過ごしていると考えられます。
1.激しい身体的負荷が日々かかっている。
2.常に競争のプレッシャーにさらされている。
3.勝利したときの興奮と賞賛、敗北したときの悔恨と叱責、いずれも非常に刺激が強い。
4.スポーツだけに専念して人生を捧げることが求められやすい。
5.能力のピークが20~30歳前後と比較的早くに訪れることが多い。
「1」と「2」については、選手の方々に心身のストレスがどれだけかかっているのかを想像すると、本当に頭の下がる思いです。選手というのは、そのスポーツを趣味や健康のためではなく、トップに立つことを目標としてやっているわけで、自分を極限まで追い込むのは当たり前、その中でどれだけの負荷に耐えられるか、どれだけ効率的なトレーニングを行えるかで勝負が決まるシビアな世界に立っています。
私自身はもともとの運動音痴に加えて競争心もあまり高くなく、こういった勝負のスポーツの世界にはほとんど接してこなかったのですが、それでも競技の世界でがんばっている知人の話を聞くと、自分には到底ムリだと畏敬の念を禁じ得ません。体脂肪率を5%台にまで下げるため飢餓寸前まで食事制限したり、強負荷トレーニングを繰り返して嘔吐したり、それらの副作用で身体の免疫力が低下して風邪をひいてもトレーニングを続行したり……。健康増進どころか、寿命を削るのと引き換えに鍛え上げているとしか思えないような壮絶ぶりだったりするのです。
これだけストイックな日常生活を積み重ねている反動で、いざオフになったときの反動もすさまじく、一気にタガが外れて依存症状態にまで陥ってしまいやすいのかなァとも思います。
ただ、個人的には「3」の要因も大きいように推察します。
選手の世界というのは、稀有な才能に膨大な努力が掛け合わされた芸術品のようなもので、それだけに勝ったにせよ負けたにせよ、観客やマスメディアを巻き込む形で興奮と賞賛、悔恨と叱責、いずれも非常に強烈な刺激を受けることになります。スポーツを通じてこういった強い刺激を日頃から受け続けていると、日常生活においても強い刺激でないと満足できない感覚になっていくように思うのです。
その結果、選手たちは薬物やギャンブルといった、陶酔感を得られるほどに強い刺激を求め、そこにのめり込んでしまいやすいのではないかと。あくまで勝手な推測にすぎませんが……。
「4」と「5」の要因については、選手という道を選んだ宿命と言えるかもしれません。よほどマルチタレントな人物ならいざ知らず、ひとつの競技を極めようと思えば、通常はその競技に専念しなければなりません。トレーニングのため近隣種目に取り組む選手はいるでしょうし、運動神経に優れる選手は何をしても早く上達するでしょうけれど、テニスでトップを目指しながら、ボクシングも油絵もギターも将棋も一流の腕前! なんていう人はさすがにいないでしょう。
さらにスポーツの世界はピークの年齢が早く訪れます。通常の仕事であれば定年の60歳くらいまで現役で働けますが、トップ選手として活躍できるのは30歳~40歳くらいまでで、スポーツだけを支えに人生を歩んできた選手にとって、これは非常に残酷な現実です。いくらトレーニングしても加齢に伴うパフォーマンスの低下は避けられず、後輩たちに順位を抜かれていく……。そんな喪失感を埋める新たな依存対象として、監督や解説者といった次のポジションへとスムーズに移行できる人はいいのですが、それができない場合、薬物やギャンブルといった即効性の強烈な刺激が希求されていくというストーリーは腑に落ちる気がするのです。
話はすこし脱線しますが、「スポーツの世界はピークの年齢が早く訪れる」というのはあくまでもトップ選手の場合であって、私たち一般人にそのまま当てはまるものではありません。私たち一般人は、何歳になっても「がんばれば伸びる」のがいいところです。
というのも、たとえば20歳前後がピークと言われる運動能力は、あくまでも極限まで追い込んでトレーニングした場合の最終限界値にすぎないからです。
トップ選手はみな限界ギリギリまで追い込んだところで勝負しているので、伸びしろはほとんど残っておらず、年齢による最終限界値が成績に直結します。しかし、私たち一般人は自分をちっとも追い込んでいない状態なので、誰にでも非常に大きな伸びしろがあります。仮に20歳時の最終限界値を90パワー、50歳時の最終限界値を70パワーとした場合、ふつうの人は年齢にあまり関係なくせいぜい20パワーくらいのレベルで生活しているので、50歳になっていても少し頑張れば40パワー、50パワーと向上していき、まったく頑張っていない20歳の若者よりも高いパフォーマンスを出すことができるのです。
筆者の場合も、趣味で自転車に乗っているのですが、40歳を過ぎてからダイエットのため長距離サイクリングを定期的に行うようにしたところ、大学生の頃よりも早く走れるようになってきました。大学生の頃に同様のトレーニングをしていたら今よりももっと早く走れるようになっていたでしょうけれど、過ぎ去ったことはどうしようもありません(笑)。もちろん現役の大学生に頑張ってトレーニングされたら、全く歯が立たないことは言うまでもありません。
閑話休題として、では依存症に対してどのように対策すればいいのでしょうか?
さまざまなアプローチがあるかと思いますが、まずはスポーツ選手自身が、依存症に陥りやすいリスク要因を自覚することが重要だと考えます。
スポーツ選手は文字通り「選ばれた人」しかなれない花形で、試合に勝てば拍手喝采や高額賞金など報酬も大きい一方、普段のトレーニングやプレッシャーで心身にストレスがかかる生活を過ごしており、反動として誘惑に負けやすい側面もある。また、勝負の世界で常に強い刺激にさらされているので、同じく強烈な刺激である薬物やギャンブルを欲しやすい側面もある。そして競技だけが人生の支えになりやすく、選手という立場が加齢などによって失われたときのクライシスから依存症に陥りやすい。
……このようなメカニズムの存在をあらかじめ自覚しておくことで、いざ自分が薬物やギャンブルにのめり込みそうになったとき、一定の歯止めがききやすくなると期待されます。これは精神科やカウンセリングの領域で「心理教育」と呼ばれるプログラムに相当します。
また、初期の段階で相談できるような場所を確保しておくことも重要だと考えます。いったん依存症にまで進行してしまうと、もはや本人の理性や意志の力、あるいは周囲の助言でどうにかなる範疇を越えてしまいます。しかし、その手前の状態、「このままだとマズいかなァ」「いや、まだ大丈夫かなァ」といった逡巡の段階で気軽に相談できる場があれば、もしかすると効果的なアドバイスが可能かもしれません。これは「相談窓口」「自助グループ」などに相当しますが、依存症についての知識をもつコーチや同僚が選手の身近にいることも有効でしょう。
いささかキレイごと、絵空事に映るかもしれませんが、スポーツ選手界の光と影をつなぐために実践できる、小さなことから始めてみることが現実的に大切なのではないでしょうか。
私たちは、選手であろうとなかろうと、何かに依存して生きています。仕事、趣味、恋愛、アルコール、違法薬物などなど……。それが社会的に是認される対象であれば「あの人は努力家で素晴らしい」と高く評価され、社会的に否定される対象であれば「アイツは堕落して情けない」と低く評価されます。
しかし、たとえそれが高く評価される依存対象であっても、たとえば仕事一筋だった人が定年退職後うつ病になってしまう事例のように、問題が後になって顕在化することもあります。
こう考えると、ひとつの事柄だけを極めるよりも、自分の生きがいや存在価値感をいくつかの分野に分散させておいたほうが、精神衛生の面においてはリスクが小さくなると言えそうです。
もちろん低リスクを選ぶだけが人生ではなく、高リスク高リターンを選ぶのも人生ですし、選手にまで登りつめる人たちはそもそも、精神衛生のリスクが云々といった小さなことに拘泥しない器の大きなタイプが多いのでしょう。
そういう野心的な先達のおかげで私たち人類はここまで引き上げられたのかもしれませんが、小心者の筆者などはリスクヘッジして自己保身に努めるばかりです……。
文責:臨床心理士・名倉