おうばく通信
おうばく心理室コラム
2017年2月 5日 (日)
【おうばく心理室コラム/2017年2月】アリの時間、キリギリスの時間
「アリとキリギリス」という有名な寓話があります。
夏のあいだ、アリたちは冬に備えてコツコツ働いて食糧を蓄えていましたが、キリギリスは気ままに歌をうたって過ごしていました。やがて冬がおとずれて食べ物がなくなり、お腹を減らしたキリギリスはアリに助けを求めますが拒否され、とうとう飢え死にしてしまいました。……というご存じのストーリーです。
この話の教訓は、将来に備えて常日頃から勤勉に働くことの大切さと、その日暮らしの放蕩への戒めとにあるのでしょう。ただ、基本的には確かにその通りである一方、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしで、アリ気質ばかりに偏っている状態もまた不適応を招きやすいように感じます。
アリ気質に偏重している人は、生活をできる限り将来への備えに回そうとします。少しでも時間があれば将来のために作業する、少しでもお金が残れば預金する、少しでも人に会えば相手との関係を損ねないことを最優先するといった具合です。
このように書くと非常に勤勉かつストイックで鑑のような人物と思われるかもしれませんが、極端なアリ気質の背後には、不安の高さや自己肯定値感の低さが存在している場合があります。今を楽しむことに対して「将来どうなるか分からないのにこんなことをしている場合ではない!」「自分のような者が楽しんでいたら後からしっぺ返しを受けるに違いない!」といった強迫観念があるために、涙ぐましいほどの自己犠牲的行動へと自身を駆り立ててしまうのです。
不安の高さや自己肯定感の低さにつながる要因はいくつかありますが、そのひとつが基本的安心感の乏しさです。
私たちは無力な赤ん坊や子どもの時分に親(もしくはそれにかわる保護者)から無条件の愛情を受けることによって、「何かトラブルに遭遇してもここに戻ってくれば必ず庇護してもらえるんだ」という基本的安心感を礎として、新奇な外界を少しずつ探索していけるようになります。
しかし親からの愛情が条件付きの場合、様相は変わってきます。たとえば「機嫌のいいときは子どもを可愛がるが、機嫌がわるいときは虐待する」「子どもがテストで満点を取ってきたときは褒めるが、そうでないときは口もきかない」という対応が繰り返されると、子どもは「親は機嫌がいいときは自分を受け入れてくれるが、機嫌を損ねたら見捨てられるかもしれない」「親は自分がテストで満点を取るから受け入れてくれるだけであって、満点を取れなくなったら見捨てられるかもしれない」という思いから、親の顔色ばかり始終気にしたり、テストで満点を取ることに悲壮な努力をしたりするようになります。
このような基本的安心感の欠如は「見捨てられ不安」と呼ばれ、大人になってからも自分に対して自信が持てない、相手を心から信用できないといった性格傾向につながりやすいと言われています。たとえ気の合う人と結婚できたとしても、「でもこれは条件付きの愛かもしれない」「相手は機嫌を損ねたら自分のもとを去っていくのではないか?」といった根深い疑念から、相手にしがみつくような言動を繰り返したり、逆に相手の愛情を試すような行為を繰り返したりして、かえって関係を悪くしてしまうこともあります。
幼少期を過ぎてからでも、いじめやパワハラによる傷つき経験が不安の高さや自己肯定感の低さにつながる場合があります。ありのままの自分では社会に受け入れられないんだという感覚や尊厳を踏みにじられた感覚から、身を守るために仮面をかぶって周囲に迎合するようになったり、自分には人並みの生活を営む資格などないんだという自己否定に陥ったりしやすくなるのです。
その結果、相手に受け入れられることを最優先に行動する、自己不全感を代償するため勉学や仕事に没頭する、といったアリ気質の傾向が募りやすくなります。このような努力が限界を越えると摩耗状態に陥り、場合によっては自殺など不幸な結末を迎えてしまう可能性もあります。
完璧主義な性格が不安の高さや自己肯定感の低さにつながる場合があります。将来に対して完璧な安心・安全を求めるため、今の生活にとくに問題がなくても、「いつ失職するか分からないからできるだけ貯金しておかなければ!」「病気になったらたいへんだから人間ドックを毎年、いや毎月受けておかなければ!」といった具合に、将来への備えを担保する行動がどんどんエスカレートしていくのです。
このような傾向が募って強迫性障害や心気症といった神経症にまで至ると、生活に支障が出てきて専門的な治療が必要になる場合もあります。
では、アリ気質への偏重から抜け出してバランスを取るためにはどうしたらいいのでしょうか?
その答えは、信頼できる人間関係を少しずつ築くなかで安心感を育んでいくことと、楽しく心地よく感じられる自分のための時間を持っていくこと、この2つが大きいように思います。
基本的安心感が欠如している人々にとって、信頼できる人間関係を築くのは確かに容易なことではありませんが、「勇気を出して本当の気持ちを伝えてみたら相手に受け止めてもらえた」といった肯定的な経験の積み重ねによって、少しずつであっても信頼関係を育んでいけるケースは多々あります(そのファーストステップをカウンセラーが担う場合もあります)。人類は社会的動物ですから、群れや家族から孤立した状態は生存の危機と本能的に判断され、将来の危機に備えるための警戒モードへのスイッチとなってしまいます。したがって信頼できる人の存在が、今を楽しむ余裕をもたらす土台として大きな役割を果たしてくれるのです。
また私たちは、意志の力で自らの行動を取捨選択することができます。アリ気質への偏重が自覚される場合は、将来に備えるためや相手のためだけではなく、今の自分のための行動を意識してとることも大切です。気に入りの服を着る、欲しかったものを買う、美容院やエステサロンに行く、面白そうな映画を観る、好きなアーティストのライブに行く、川べりでのんびり日向ぼっこする、美味しいものを食べる、などなど……。こういった行動による満足を通じて、私たちは安心感や自尊心を一層取り戻しやすくなります。何を楽しく心地よく感じるかは人それぞれですので、自分にフィットする事柄を幾つか持っておくといいでしょう。
完璧主義的な性格が災いして不安をぬぐえない場合は、上述の「信頼できる人間関係を築くこと」と「今の自分のための行動を意識してとること」に加え、とりわけ考えかたを柔軟かつ現実的にしていく認知行動療法や、場合によっては薬物治療が有効であるかもしれません。
当然ながら、好きなことばかりするキリギリス生活がいいわけでは決してありません。キリギリス気質への偏重は怠惰や浪費から生活を破綻させたり、暴飲暴食から健康を損ねたりして不適応を招いてしまいます。拙コラムでも何度か取り上げている通り、目先の短期的な損得ではなく、長期的な損得から判断して行動できる力は非常に重要です。
しかし何事もバランス。生活にON/OFFのメリハリが大切なのと同じく、将来の備えとしてアリ的に働いた後は、ある程度で「このくらいにしておこう」と切り上げてキリギリス的な時間を持つことも大切です。
一日単位での切り換えに加えて、アリ的に勤労する日常を過ごす中で、キリギリス的に発散する非日常(お祭り事や旅行など)を節目ふしめに設けるのも効果的でしょう。昔から「ハレとケ」と呼ばれる我が国の文化は、こういった切り換えの役割を自ずとうまく果たしていたように感じます。
ちなみに私自身はどうしているかというと、自分で言うのもナンですが普段はアリ気質のほうが強く、基本的には倹約を心がけながら、食事や運動にも節制しているつもりです。一日単位での切り換えとしては、夜に好きな録画番組やレンタル映画を観ながら軽く晩酌するのをささやかなキリギリスとしています。
週末に知人と飲みに行ったときなどはハレの日と割り切って盛大に飲んで発散し(笑)、休日は健康・体力づくりというアリ要素と外出を楽しむキリギリス要素とを兼ねてサイクリングやハイキングをすることが多いです。あと、誕生日など特別な日はふだん控えているケーキを思いっきり食べたり、年に1~2回くらい旅行に出たりするくらいでしょうか。
まったくの主観ですが、アリ=8:キリギリス=2くらいのバランスが自分には合っている気がするので、こんな感じの日々で心身の均衡を保っています。
皆さまにおかれましても是非、ご自身に合ったアリとキリギリスの内容とバランスを見いだしていただければと思います。両者のバランスが見いだしにくい、あるいはその前段階として不安の高さや自己肯定感の低さがぬぐえない場合はカウンセリングがお役に立てるかもしれませんので、よければ気軽にご相談いただければ幸いです。
文責:臨床心理士・名倉