おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2016年3月 1日 (火)
月刊きょうと/「チェロと私」(2016年3月)
今回は利用者のカモリバーさん(男性)に、チェロの魅力について書いていただきました。
JSバッハの「無伴奏チェロ組曲」は、チェロの『旧約聖書』と言われ、世界中のチェリストに愛されてきた。
バッハが大好きな私にとっても、特別な一曲であり、ある時期は、寝る前に毎晩のように聴いていた。
最近、ふとしたきっかけでチェロを習い始め、あらためてこの曲を聴くうちに衝撃的な演奏を耳にした。それは、二〇一四年に九九歳でこの世を去った日本人チェリスト青木十良が八五歳の時に録音したものである。年齢を感じさせないどころか、これまで聴いたどんな演奏よりも瑞々しく疾走感に溢れている。
バックアップセンターへ通うようになってしばらくした頃、友人が、「最近クラリネットを習いはじめた。良かったらいっしょにどうだ?」と声をかけてくれた。面白そうだなと思って話を聞くうちに、「そうか、せっかくなら(音色が)大好きなチェロを習ってみよう」と大胆なことを思いついた。
一方では、すぐに挫折するかもという不安な気持ちもあり、まずは体験レッスンを受けてみることにした。
確信が得られないまま、四人目の先生のお宅に伺った。レッスンがはじまると、それまでとは違い、細かな技巧についてはまったく触れず、「自分の音を感じましょう」「楽器とひとつになることが大切です」と何度もくり返される。「ピアノも弾けないし、この年で弦楽器を始めて、ちゃんと音がとれるようになるか心配です」と言う私を、「ギターをされていただけあって楽器の扱いはお上手ですよ」と安心させたうえで、「チェリストはみんな音程が悪いんですよ」などとすごいことをおっしゃる。コンクールで日本一を獲得された先生の言葉には説得力がある。その日のうちに入門を決めた。
現在は、月に2~3回レッスンを受けている。いまだに先生の前では緊張して全身に力が入り、音が裏返ってしまう。いくつかのポイントを指摘され、不安な気持ちで何度かくり返しているうちに、「うん、いいですね」と言葉が返って来たときの嬉しさは格別だ。たまに、「とてもいい!」なんて言われると、もう、その日一日が絶好調になる。
毎回、レッスンの最後には、リクエストして次回の課題曲を模範演奏していただく。その時、あえて私の楽器で弾いてもらうのだが、音色があまりにも美しく、「この(入門用の)楽器にもこんなに素晴らしい可能性があるのだ」と思うと嬉しくなってしまう。家で、この録音を聴くことが、単調な練習のモチベーション維持に役立っていることは間違いない。
最近は、演奏中に大きく音を外すことも少なくなり、たんなる音の羅列から音楽らしきものに近づいてきた。いつもは寝室にこもって弾いているが、休日には妻のピアノ伴奏に合わせて練習をすることもある。たどたどしくも、ピアノとの呼吸があったときは、清々しい喜びを感じることができる。
ここまでくれば、誰かに聴かせたくなるのが人情というもの。先生からは、秋頃には発表会に出てはどうかと言っていただいている。何とかそれまでには、自分なりの音楽が奏でられるようになりたいものだ。
青木十良は、九六歳の時、このように語っている。
「自分が何を求めているんだろうと、それが『エレガンス』なんだと、最近になってやっと発見しました。『エレガンス』という言葉の根底にあるのは、『自尊』です。自分を信じ、他の人を尊ぶ。それが全身にみなぎって表現できたときには、百パーセントよい音楽をやったと思いますね。」
さあ、これから人生の後半戦。人との出会いやつながりを大切にしながら、ゆっくりと歩んでいきたい。そこに、チェロという相棒がいてくれる喜びを感じながら。