おうばく通信
おうばく心理室コラム
2015年10月 5日 (月)
【おうばく心理室コラム/2015年10月】アサーション(自己主張)と損得勘定
広く知られているカウンセリング技法のひとつにアサーショントレーニング(自己主張訓練)があります。大ざっぱに言うと、私たちのコミュニケーションを「非主張的」「攻撃的」「主張的(アサーティブ)」の3つに分類したうえで、最も適応的なのはたいていの場合「主張的」な自己表現であるから、こういうコミュニケーションを取れるよう心がけていきましょうというわけです。
詳しくは入門書等をお読みいただくとして(読みやすい書籍が多く刊行されています)、本稿ではこの療法のエッセンスを紹介しながら、私見を添えてみたいと思います。
というわけで、アサーショントレーニング。この言葉だけを見聞きした人は「自分の意見や考えを強く主張して押し通す訓練」だという誤った認識を持つことがあるようですが、アサーションの本質はそうではなく、「相手の意見や考えにきちんと耳を傾けながら、自分の意見や考えも相手にちゃんと伝えて、お互い後腐れのない合意につなげていく訓練」です。
……こんな風に書くと、なんだか辛気くさそうな理想論だよなァと思われてページを閉じられそうで不安なのですが、少しだけ待ってください(笑)。実は私自身も、当初はそんな風に思って敬遠していたクチなんですが、真意を知って実践してみれば大違い。これって結局、自分が得するためのスキルなんです!!
では、何がどう自分の得になるのか? 具体的な例にもとづきながら考えてみます。
たとえばここに、夫への不満を抱いている妻がいるとします。残業や飲み会で帰宅が遅くなりがちな夫に対して妻は、夫が家事も育児もないがしろにして家庭を顧みず、仕事ばかり優先しているように感じています。このような状況で、妻はどのように立ち振る舞うべきか?
「非主張的」コミュニケーションを選択するなら、妻は夫に対してとくに何も言わず、現状を甘んじて受け入れることになります。あるいは、「残業も飲み会もたいせつなお仕事だから全然かまわないし、家のことは全部わたしに任せておいて」などと心にもない言葉を述べることになるでしょうか。
こういう風に振る舞うと、短期的には夫婦間に波風は立たず、今までどおりの生活が続きます。しかし、長期的にはどうでしょうか? 夫のほうは、妻が文句を言わないものだから、自分は仕事さえしていればそれでいいんだ、家事や育児はすべて妻がやってくれるんだと勘違いするかもしれません。
つまり、妻は夫からナメられてしまい、その後もずっと夫ペースの生活を強いられる可能性が高くなります。短期的には波風が立たず「得」であっても、長期的には不遇に耐え続けなければならず「損」するのです。
「攻撃的」コミュニケーションを選択するなら、妻は夫に対して、今までの不満や恨みつらみをぶちまけることになるでしょうか。
「今まで黙ってたけどアンタ、毎晩毎晩、残業だの飲み会だのって一体どういうつもりよ? 家事も育児も全部わたしに押し付けて自分は何もしなくていいって思ってるなら大間違いよ。わたし家政婦じゃないんだから! それとも家政婦雇えるくらい稼いでるワケ?? 薄給の分際で何様のつもりってことよ!」
いやー、スカッと胸がすく思いですねえ(笑)。短期的には、言いたいことをぶちまけて夫を屈服させられて妻はスッキリするでしょう。しかし、長期的にはどうでしょうか? 夫のほうも、こんな鬼嫁のいる家庭にはますます帰りたくなくなり、今まで以上に残業や飲み会が「多く」なりかねません。そうやって夫婦仲が冷え切ってしまったら、離婚に至ってしまう可能性も高まります。
つまり、短期的には妻は夫より優位に立って「得」したとしても、長期的には夫婦関係の悪化や離婚につながって「損」するのです。
そこで大切となるのが、「主張的」コミュニケーションです。夫の言いなりになるでもなく、夫を屈服させるでもなく、お互いが納得できる形に持っていけるよう意識するのです。
「残業が多いのは大変だろうし、付き合いの飲み会も断りにくいだろうと思う。ただ、そうなるとわたしのほうも、家事とか育児とかぜんぶ自分でやらなきゃいけない感覚になってきて、正直、最近ちょっとしんどくって。どうしていったらいいかなあ」
そうすると夫のほうも、「納期直前の残業は避けられないけど、早く帰れそうな日は帰宅して、僕が子どもを風呂に入れるわ。飲み会も半分くらいは断っても差し支えなさそうなやつだし、今までよりも減らすようにするわ」というように、自分の事情も考慮しながら現実的な改善策を考えることができるでしょう(いつも非常に都合よくシミュレーション会話が進むのが本コラムのうさん臭いところですが。笑)。
つまり、「主張的」コミュニケーションでは自分の意向や希望をお互いが相手に伝えています。「わたしも率直に言うから、あなたも本心を言って。そのうえで交渉しましょう」というスタンスです。もちろん両者の意向や希望が食い違っているケースが大半なわけですが、何がどれだけ食い違っているのかを明らかにしたうえで、双方の事情を汲みあいながらお互いにどれだけ歩み寄れるか相談できれば、少なくとも「非主張的」や「攻撃的」よりはずっと前向きに話し合いが進むのではないでしょうか。
以上をまとめてみます。
「非主張的」コミュニケーションをとると、自分が我慢することでとりあえずその場は丸く収まりますが、 “I am not OK. You are OK” 状態が続くため、長期的には自分がストレスをためてしんどくなってしまいます。
「攻撃的」コミュニケーションをとると、自分の言いたいことだけを押し通すのでその場ではスッキリしますが、“I am OK. You are not OK” 状態が続くため、相手側にうっぷんがたまったり、相手からしっぺ返しを受けたりして、長期的には自分もしんどくなってしまいます。
そこで「主張的」コミュニケーションをとると、自分も相手もお互いに意向や事情を述べたうえで妥協点を模索する形になるので、その場での話し合いの手間こそ若干かかりますが、長期的にはお互いが納得して楽に過ごせるようになります。
…いかがでしょうか? 正直こんなのキレイ事だと私自身も思っていたのですが、こういうスタンスで相手と関わる意識を持つようになってから、ずいぶんと人間間系がこじれにくくなったように実体験として感じています。
よくある反論のひとつとして、「いくら自分が主張的コミュニケーションを心がけたって、相手が攻撃的だったらどうしようもないでしょう?」というのがあります。確かにその通りかもしれません。ただ、相手が攻撃的だからといって、こちらが非主張的に対応すれば相手をどんどん増長させてしまうでしょうし、かといってこちらも攻撃的に対応すると怒りの連鎖&増幅でのっぴきならない事態を招いてしまいがちです(米国とイスラム過激派の武力応酬などもその一例でしょう)。
相手はどうあれ、こちらからは主張的な対応をとったほうが対話の糸口がうまれる可能性は高まりますし、たとえ相手が始終攻撃的で話にならなかったとしても、自分自身のアサーションスキルを高める練習の場になっているわけですから、決して損はしないのです。
また、一回限りの人間関係においては、攻撃的コミュニケーションを用いてもその場限りで損得には影響しないケースもあります。たとえば、旅先でぶらっと入ったレストランの店員に八つ当たりで怒鳴りつけたりしたところで、引き続く実生活にはなんの影響もないでしょう。ただ、こういう振る舞いはアサーション以前に人としてどうかと思いますし、抵抗できない相手への非対称的な攻撃でスカッとするようなメンタリティを持つ人は健全な自尊心を育めないばかりか、社会全体からしっぺ返しを受けて決して幸福にはなれないような気がします。
私事で恐縮ながら、筆者の知人にも短気で攻撃的な人物がおりまして。で、つまらないことで何かギャーギャー言ってきたときこそ絶好のアサーション練習の場だと捉え、主張的なコミュニケーションと交渉とを心がけています(体よく知人を利用している罪悪感も幾ばくか抱きつつ。笑)。
といっても、面倒くさいときはサクッと非主張的コミュニケーションで受け流しておりますが。主張的でないコミュニケーションを用いる権利も私たちにはあるのです。
文責:臨床心理士・名倉