おうばく通信
おうばく心理室コラム
2015年5月 5日 (火)
【おうばく心理室コラム/2015年5月】「病気だからできない」ことと、「病気であってもできる」ことと
臨床心理士という仕事をしていると、心理学や精神医学とは全く関係のない一般作品から、気付きを得ることがしばしばあります。不勉強の身でエラソウなことは何も言えないながら、「専門バカには決してならないように」との恩師や諸先輩方からの言葉を実感します。
そんな一般作品のひとつが、三谷幸喜の演劇&映画作品『笑の大学』です。筆者が観たのはずいぶん前で、あらすじもうろ覚えですが、たしか舞台は日本が太平洋戦争に突き進んでいく状況下。
劇団『笑の大学』を率いる団長が、観客を笑いで元気づけたい一心からユーモラスな脚本を書き上げ、政府に上演許可を申請するのですが、旧日本軍の検閲官は「この戦時下におもしろ可笑しい喜劇を上演するとは不謹慎極まりない!」と厳しい検閲を加え続けます。団長は検閲官からの不条理な指示の数々に頭を抱えながらも、なんとか上演にこぎつけるべく指示を全て受け入れて脚本を修正し続けます。その結果、セリフに無理のある言い換えが頻発したり、ストーリーに矛盾が出てきたりして、どんどんおかしなことになっていくのですが、団長はこれらをも逆手にとって、さらに笑える脚本へと仕立てあげていくというお話です。
検閲官からの無理難題をあざやかな頓知で切り抜ける団長の手腕や、それでも脚本が原形をとどめないくらいチグハグになっていく可笑しさが見どころなのですが、筆者の印象に残っているのは検閲をめぐる団長と団員の確執、そしてそれに対する団長の言葉です。
あまりにも厳しい検閲に対して、「いつまで軍の言いなりになってるんだ!」「ここまで規制されるなら上演中止のほうがマシだ!」といった不満が団員たちから噴出したとき、いつもは物静かな団長が声を張り上げたのです。
「中止したらそれで全て終わりです! それよりも、与えられた制約の中で精一杯いいものを作って世に出すほうを私は選びたい!」(うろ覚えなのでセリフは全然違うと思いますが、おおむねこのような内容だったかと)。
私たちは、何かをしないための理由や、何かを避けるための理由を考える名人です。しかしそこで、与えられた制約の中で何ができるか? という視点から考えてみることが、演劇だけでなく、生活上のどんなことにおいても大切であるように思います。
たとえば草野球チームの面々。「お金がなくていい道具も買えない」から、「忙しくて練習時間が十分にとれない」から、こんなことではどうせ勝てないと考えて野球をやめてしまうのは簡単です。しかし、金銭的な制約、時間的な制約がある中で何ができるかを考えてみると、古いグローブをちゃんと手入れするとか、空いている時間は個人でランニングをするとか、きっと何かはあるはずです。それでも強豪チームには勝てないかもしれませんが、たとえ負けたとしても、初めからあきらめて何もしなかったのに比べると充実した日々を過ごしていたはずですし、もし勝てたとしたら、「いい道具が買えない」「練習時間が十分にとれない」にもかかわらず勝てたわけですから、いよいよすごいチームだと言えるでしょう。
私自身、スポーツに関してはからっきし運動音痴で、何をやっても実際ダメダメなのですが(サッカーのような集団競技ではチームメイトから呆れられ、テニスのような対戦競技では相手から呆れられ……といった具合です)、運動音痴だからスポーツは何もできないと考えてしまうとそこで終わってしまうので、運動音痴でもできるスポーツは何かを考えました。
その結果、反射神経があまり求められず、チームメイトや対戦相手にも迷惑をかけない登山やサイクリングといったスポーツを自分のペースで続けています。実際にやってみるとこれはこれで気分転換や健康増進に役立っていて、何もスポーツをしていないよりも生活が充実しているように感じています。
カウンセリング場面においても同様のことが言えます。たとえばうつ症状に苦しんでおられる患者さんの場合、「何をやる気にもならない」「何をやっても楽しくない」「とにかくつらい」と訴えられます。実際その通りで、とてもつらい状態だとお察しします。しかし、だからといってずっと寝たきりで過ごしていると心身ともにますます状態が低下してしまいますし、こういうときこそ、しんどい今の時期であってもできることを一緒に考えていくほうが事態は好転しやすいと考えています。
「病気だからできない」部分に目を向けるのではなく、「病気であってもできる」部分に目を向けていくこと。病気を抱えながらも何かができたとしたら、それはすごいことですし、治療への大きな一歩となります。近年注目されている行動活性化療法と呼ばれる治療法は、このような手続きを無理のない行動計画を立てながら実際的・具体的にすすめていく手法です。
実はこの連載コラムも、書くのをやめる理由はいくらでも出てきます。書く時間がないから、書いたところで給料が増えるわけでもないから、病院のホームページゆえ過激なことは書けないから、面白い文章を書くスキルがないから、だれも読んでいないだろうから等々……。
そして実際、やめるは面白いくらい簡単です。それでも細々と書き続けているのは、筆者が莫迦だからというのはもちろんありますが、与えられた制約の中で何が続けられるか? と考えているところもあったりします。
そんなわけで貴殿もいま一度、「○○であってもできること」を探してみませんか??
文責:臨床心理士・名倉