おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2015年4月 1日 (水)
月刊きょうと/「病気になって気付いたこと」(2015年4月)
今回は利用者のスイーツ大好きさん(女性)に、うつ病の経験を通じて気付いたことについて書いていただきました。
私が、精神科にかかって病気が発覚してから休職するまで(入院→BUCに通うまで)には、6年の期間が空いていました。
本来であれば、療養が最も必要である時期も、私は頑なにそれを拒み、記憶力・集中力・注意力・処理能力など、様々な能力を低下させたまま日常生活を送ってきました。
最も症状がひどかった時期(帰宅すると同時にソファーに倒れ込み、そのまま体を動かすことが出来ず、突然激しいイライラ・怒り・破壊衝動・悲しみに襲われ、物を投げたり、家族に言葉で攻撃したり、涙を流したりと自分をコントロールすることが出来ない。全てのことに興味を示さなくなり、感情表現も出来なくなり、生きる意味が全く分からなくなり、それこそ毎日 「死ぬこと」ばかり考え、いつ実行に移してもおかしくない状態)を思い返してみても、あの時のギリギリの心理状態でよく最悪の事態を実行しなかったものだと自分でもある意味感心しています。
とは言っても、忍耐強く・我慢強い流石の私でも、自分一人ではとても持ち堪えることは出来なかったと思います。私は、この期間、家族に大いに助けられ・支えられてきました。
私がこの病気と診断された当初、私を含め家族全員が病気について殆ど知りませんでした。
母は、病気に関する本を何冊も読み、病気に関する催しがあれば参加をして、私の状態を理解しようとするだけでなく、「○○が病気を治すのに良い」と知り得た情報をもとにあらゆる方法を実践してくれました。
父も私には直接言うことはあまりありませんでしたが、テレビで病気の特集があれば、母にも知らせて番組を観たり、新聞の記事に載っていたら、読んだ後に切り抜いて残したりしていたようです。
兄は、私の前では私が病気になる前と同じように接してくれていましたが、陰ではとても心配しており、母に私のことを聞いていたそうです。
当時、私はこういった家族の振る舞いを気にする余裕も無く、「何で私だけがこんな辛い思いをしなければならないのか」と、まるで自分が「悲劇のヒロイン」になったかのように考えてしまうところも多かったのですが、決してそうではなかったのだと後になって気付かされました。
もうじき私もBUCを卒業し、復職します。正直なところ、まだまだ多くの不安要素を抱えておりますが、当分の間は、無理をせず、ゆっくりマイペースに業務をこなしていきたいと思います。
一年先になるか、二年先になるかはわかりませんが、心穏やかに過ごせる日が訪れた時には、病気になった私を支え続けてくれた家族に「心からのお返し」ができればと考えています。
BUCに通われている皆さん、同じ病気で辛い思いをされている方、病気の人を支えている皆さん、それぞれ抱えている不安・焦り・苛立ち・心配・歯がゆさなど様々な思いがあるとは思いますが、
「気張り過ぎず、疲れたら休む(息抜きをする)」
ことを心掛けて自分自身を(家族を)労わりながら生活を送っていただけたらと思います。
皆さまが社会復帰をされる時を陰ながら応援しております。