おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2015年1月 1日 (木)
月刊きょうと/「世界は変わる、一晩で」(2015年1月)
今回は利用者の今岡のまこっちゃんさん(男性)に、「変わる」をテーマとして書いていただきました。
この文章を書いている少し前に、衆院選の投開票があった。今回は与党圧勝で政権交代は無かったが、日本が一晩で「変わる」可能性があった事は間違いない。善し悪しを別とすれば、「変える」ことに時間がかかっても、「変わる」時は早い。それは何も社会や政治に限ったことではない。人の思いや価値観だってそうだ。
例えばこの10年で、日本で言うところの「サブカル」(厳密な定義とは異なる)の地位は大きく上がった。親から目の敵にされ、脳機能を低下させるだの言われたテレビゲームは、今や全世界で老若男女問わず多くの人々に親しまれるものになった。かくいう私も、『ドラゴンクエスト』を通じて文字の読み書き、四則計算、地図や時計の読み方などを学んだものである。もっと大きな例なら、一般的に善いものとして見られていなかった「深夜アニメ」が、朝のニュースで取り上げられ、社会現象になるようなブームを生み出してしまった。文化や社会的価値観が、昭和の時代には考えられない変わり方をしてしまった結果だ。しかしこれも、私の記憶では変わったのはある時期に突然である。きっかけとなる作品を生み出す(=変える)のは大変だが、社会権を得る(=変わる)のは早かった。
ところで、私達個人ではどうだろう。私自身はデイケアを通じて日々色々な事を学んでいるが、それを自分のものにして自分を「変える」ことに非常に苦しんでいる。正確に言えば、どこを「変える」かに苦しんでいる。でも、話し方や考え方が「変わる」事には全く気がついていなかった。それこそ一晩で「変わった」のかもしれない。「変える」ためにレジュメ数枚を使って1時間以上講義を受けて、さらに実践訓練を積み重ねた時間に対し、自分の感覚が「変わる」までの時間が圧倒的に短いのだ。
人の感覚とはなんと現金なものか。価値観や世界観はなんと不安定な物か。「変える」キッカケを作ることがどれほど難しいか。地球が平面から球体に変わるまでに費やした時間を考えればよく感じられる。それでも、地球が球体に「変わる」のは、まさに一瞬の出来事であったように思う。選挙も、文化も、病気も、変わる時は案外一晩で終わるものなのだろう。それではこんな考えはどうだろうか。
「自分で変えるのは難しいけど、誰かに変えてもらうためにちょっと頑張ってみる」
他力本願でいいってわけじゃないけれど、自分の考え方を変えることは困難を極める。じゃあ誰かがキッカケをくれるまで待てばいい。自分は1人でも、世界には60億以上の人がいる。誰かが変えてくれる、変わるのは一晩。今日寝て明日起きたら、自分の考え方や価値観が変わっているかもしれない。こう考えれば、明日の寝起きが少し楽になりそうじゃありませんか。