おうばく通信
おうばく心理室コラム
2014年12月 5日 (金)
【おうばく心理室コラム/2014年12月】すべての情報は編集されている!
「事実」の重要性がしばしば指摘されます。
たしかに世間を見回せば、ドキュメンタリー番組のねつ造問題や食品原材料の虚偽記載など、意図的なウソがしばしば問題になっています。いずれも誤った認識をユーザーにもたらす許されない行為であり、正しい情報を伝える義務が彼らにあるのは明らかです。
しかし、正しい情報(=事実の情報)とは何か? について考えると、ひとつの本質的な問題が浮かびあがってきます。すべての情報には編集というプロセスが介在しているため、事実を積み重ねることで逆に真実が歪曲されてしまう場合があり得るのです。
これがどういうことか、例を挙げながら説明してみたいと思います。
たとえばここに、夫婦でカウンセリングに来談された二人がおられるとします。事情をうかがうと、夫婦仲が近頃うまくいっておらず、毎日のように衝突してお互いストレスをためてしまうとのこと。
奥さんはこう言います。 「ウチの主人なんて、毎晩のように残業やら飲み会やらで帰宅は遅いし、家事や育児にはお構いなしだし、家族との会話もほとんど無い毎日なんです。こんな結婚生活、つくづくイヤになってきます!」 こう聞くと、ご主人の自己中心的な態度に問題がありそうです。
一方、ご主人はこう言います。 「ウチの家内なんて、私が残業で疲れて帰っても、帰りが遅いだの家事もやれだのガミガミ言うばかりで、家内自身はいつも娘と遊んでばかりで僕のことなんてお構いなしですし、こんな家に早く帰ろうなんて思えるわけがないでしょう!」 こう聞くと、奥さんの自己中心的な態度に問題がありそうです。
両者のストーリーには大きな食い違いがありますが、話題にのぼった内容(ご主人の帰宅が遅いことや、それを奥さんが非難していることなど)はいずれも事実です。ただ、これらの情報をどう切り取るかによって、ニュアンスは全く違ったものになってきます。
「すべての情報には編集というプロセスが介在している」と冒頭に書いたのはこういうことです。たとえ事実であっても、情報として伝達される時点で何らかの取捨選択が働いている。自分に都合のいい事実だけ採用し、都合の悪い事実は葬り去ることによって、ウソをつくことなく真実をゆがめていけるのです。
上述の夫婦の問題にしても、ありのままの真実を情報として得ようとしたら、自宅にビデオカメラを設置して数十時間にわたる録画をすべて見る必要があるはずです。しかしそんなことは現実的には不可能に近いですし、そもそもビデオカメラなど設置したら夫婦ともそれを意識して本来の夫婦関係が表出されない可能性が高く、やはり真実を得られないことになります。
史実に基づいた映画作品なども同様です。「家族をなぶり殺しにされた主人公が、正義のために立ち上がり、憎き敵たちを倒していく」なんていうストーリーも、逆の立場から見ればどうでしょう? 「憎き敵」として倒されていく人々にもそれぞれ大切な家族があるわけですし、主人公の家族側にもなぶり殺しにされるだけの理由があったのかもしれません。しかし、こんな事実まで描くと勧善懲悪の爽快感が失われて興行成績も下がってしまうので、あえて主人公側に感情移入してカタルシスを得やすいよう情報が編集されているのです。
昨今の生活保護バッシングもその一つだと筆者は感じています。マスメディアや政府関係者がこぞって不正受給者の存在ばかり弾劾し続けた結果、生活保護受給者の多くがそうであるかのように世間の人々が錯覚しているとしたら、これはたいへん危険なことです。不正受給が疑われるケースは全体の数パーセント以下と言われていますし、生活保護に頼るしか生活の術がなかったり、受給することで生活を立て直してその後の就労につながったりされるケースのほうが実際にはずっと多いことを職業柄も実感しています。
「最初の例にあげた夫婦」のご主人にしても奥さんにしても、「史実に基づいた映画」の監督にしても配給会社にしても、「生活保護バッシング」をしているマスメディアにしても政府関係者にしても、情報編集の背後には何らかの意図が存在します。自分の立場を守りたい、悪者になりたくない、興行成績を上げたい、視聴率を取りたい、歳出を少なくしたい、財政に対する国民の目を逸らせたい、等々……。
したがって、世間の情報に対しては、
・あくまでも事実の一側面である
・その一側面は何らかの編集が反映した結果である
・その編集の背後には何らかの意図(意識的なものも無意識的なものも含め)が働いている
こういう意識を常に持ち続けることが大切だと感じています。情報を得たときはそのまま鵜呑みにせず、背後にある意図をまず考えてみること。そして、できるかぎり多面的なソースから情報を集めてみること。
もちろん、自分が発する情報についてもしかりで。ついつい自分にとって都合のいいように物事を喋ってしまうことが多く、我ながら失笑を禁じ得ない昨今ですので……。
文責:臨床心理士・名倉