おうばく通信
おうばく心理室コラム
2014年8月 5日 (火)
【おうばく心理室コラム/2014年8月】夢を叶えること、について二言三言
夢を叶えるにはどうしたらいいんでしょうか? と訊かれることがあります。
夢と聞いて私がまず連想するのは、眠っているときの夢のほうで、内容もたいていはロクなものではありません。庖丁を持った強盗に追われているのに足がもつれて逃げられないとか、気がつけばコロポックルの一員になっていて人間界に戻れないとか……。
こんな夢が叶ったらたまったものではありませんが、そうではなく将来実現したい願いのほうの夢を指しておられるのでしょう。
そこで今回は大風呂敷を広げて、夢について語ってみたいと思います。
私自身、今までの人生で叶った夢も叶わなかった夢もありますが、夢を持つのは素晴らしいと思う一方、夢そのものより大切なことがふたつあると個人的には感じています。
ひとつめは「夢が叶った後のビジョン」、ふたつめは「夢が叶うまでのプロセス」です。これがどういうことか、順を追って述べてみます。
まず、ひとつめの「夢が叶った後のビジョン」に関連して印象に残っているエピソードがあります。アスリートの為末大さんが先日、講演会の場で述べておられました。
為末さんは現役時代、トラック競技で日本人選手が誰も手にしたことのない「世界大会でのメダル」を目標として血のにじむような練習を重ねた結果、23歳のときの世界大会で日本人初のメダル(銅)を獲得されました。ただ、その直後こそ歓喜したものの、しばらく時間が経つと今度は目標を見失い、その後2~3年は何をすればいいのか分からない無気力状態に陥ってしまったといいます。為末さんいわく、「あのときの僕はメダルを獲った後のことなんて考えてなかったんです」。
『ゼロ・ダーク・サーティ』という映画のラストシーンも印象に残っています。ネタバレになってしまいますが、米国特殊部隊によるオサマ・ビンラディン暗殺作戦の一部始終を描いたこの映画。結果的に作戦は成功するわけですが、指揮官として力の限りを尽くしてきたCIA女性分析官は作戦の成功を知った直後、茫然自失して涙を流し続け、作品はそのままエンドロールを迎えます。
指揮官女性にとって、人生のすべてをかけて尽力した作戦の成功とはいったい何だったのか? 「アメリカの憎き敵、ビンラディンを倒す!」という積年の夢が叶えられたにもかかわらず、どうして彼女は歓喜ではなく茫然自失に陥ったのか?
さまざまな解釈があるとは思います。たとえ相手がビンラディンであっても、命が失われた事実に落涙したと見ることもできましょう。しかし筆者はこれを、メダルを獲得した後の為末さんと同じく、目標を達成した後のことを考えていなかったがゆえの虚無状態だったのではないかと推察します。
目標(=夢)を実現することだけに捉われると、その目的を達するための時間はすべて「目的のための手段」になり下がります。すると目的が達せられた瞬間、時間は意味を失ってしまうのではないでしょうか。
そしてどんな夢も、それが叶ったときが新たなスタート地点となります。なぜなら私たちには、どんな状況にも順応する力が備わっているから。どんな幸福にも順応して、それが当たり前の状態だと感じるようになる「幸福順応」という力を、私たちは幸か不幸か持っているのです。
したがって、もし夢が叶ったら自分の生活はどんなふうに変化するだろう? それから先の人生をどんな風に歩んでいけばいいだろう? という想像力と心の準備が必要です。
「結婚するのが夢です!」なんていう人を時折見かけますが、結婚さえすれば人生安泰かといえば決してそんなことはなく、本当の苦労はその先に待ち受けているのが世の常でしょう。
カウンセリングの中でも、心の不調に悩む方々に対して「もし不調が改善したら、暮らしはどんな風に変化しそうですか? どんなことをしたいと思いますか?」と投げかけることがあります。病気を治すという目標だけにとらわれず、その後の現実的なビジョンに目を向けていただくと、ご自身の目標の本質やポジティブな将来像がはっきりと見えてきて、病気を治したい! というモチベーションをさらに高めていただける場合があるからです。
もうひとつ大切な側面として冒頭に挙げた「夢が叶うまでのプロセス」については、エーリッヒ・フロムの次のような指摘が印象に残っています。「成熟した人間とは、自分でそのために働いたもの以外は欲しがらない人、全知全能というナルシシズム的な夢を捨てた人のことである」。
同じ夢であっても、それを現実的に自分の力で手に入れようとしているのか、他力本願を夢想しているのかによって、意義は大きく変わってきます。
自分で努力して成し遂げた夢は、一時的な歓喜が幸福順応によって消失した後も、自己効力感(努力すれば結果につながるんだという感覚)として自信が残り続けます。こういった根拠ある自信は、その後さらに何かを成し遂げいくための力となり、一生の財産となるものです。
しかし他力本願で成就した夢は、ラッキーではあるものの、幸福順応してしまえば後にほとんど何も残りません。一時的な快楽みたいなものだとも言えるでしょうし、手に入れたものを失う恐怖と向き合い続けなければならない点では、むしろその後の不幸につながる可能性すらあります。宝くじ高額当選者のその後の人生にあまりいい噂を聞かないのは、このあたりに理由があるのかもしれません。
そういったわけで、夢を叶えることについて私が思うところをまとめると、
1.その夢が自分の努力でつかむものか、他力本願を期待しているものかを考えてみる。
2.前者であれば夢を叶えるためのスモールステップを設定して、小さな目標から取り組んでみる。後者であればとくにすべきことは無いので、ひそかな夢想として心に隠し持っておけばいい。
3.夢が叶った後も人生は続くので、その後のビジョンを現実的に考えておく。夢が叶ったときの一時的な歓喜は幸福順応によってすぐ消失するけれど、自分の努力で夢を叶えた場合には、根拠ある自信という財産がその後も残り続ける。
ということになるでしょうか。
こうして書いていると、ロクに人生経験もないくせに理屈ばかりこねているなァと我ながら思いますが、私個人の考えということでどうかお許しいただければ幸いです。
ちなみに些末な私事で恐縮ですが、筆者は先日、学生時代から長年の夢だったロードバイク(スポーツタイプの自転車)をついに購入しました。しかし実際に乗ってみたら、サドルが固くてお尻に激痛は走るわ、タイヤが細いのですぐパンクはするわ、ビンディングペダルは怖くて仕方ないわで、エラいもんを買ってしまったと頭を抱えています。
でもまァ、こういう試行錯誤の中でパンク修理の仕方やビンディングペダルの使い方などが少しずつ身についていくのをささやかな自己効力感としながら、今後も細々と続けていこうと自らを鼓舞している昨今です。
そして、夢というのは得てしてこういうものだなァと。まったく夢のない話で誠に申し訳ありませんが……。
文責:臨床心理士・名倉