おうばく通信
おうばく心理室コラム
2014年6月 5日 (木)
【おうばく心理室コラム/2014年6月】月刊きょうと通算100号と新陳代謝
私が毎週木曜日に勤務している「バックアップセンターきょうと」にて、利用者の皆さんとスタッフとで手作りしながら月に1回発行している機関紙『月刊きょうと』が、今月で通算100号目の刊行をむかえました。
創刊号の立ち上げから現在にいたるまで編集担当として携わっている筆者としては、こりゃめでたい! ……と独りで静かに小さな感慨にふけっているのですが、この感慨をどこかに著したいと思うもそんな場は当コラム欄以外に見当たらないので、部外者の皆さんには申し訳ないとあらかじめ反省しつつ、今回は『月刊きょうと』100号をテーマとして書かせていただきたいと思います。
事情をご存じないかたのために『月刊きょうと』がどんなモノなのかざっと説明すると、まず「バックアップセンターきょうと」というのは、うつ病やストレス疾患で休職している方々の復職を支援するために当法人が京都駅前に開設している、通所型のリハビリ施設です。
「バックアップセンターきょうと」では復職を支援するために、さまざまなトレーニングやグループワーク、講座などを実施しており、そのひとつとして月に1回、利用者の皆さんとスタッフとでミニ新聞を作って発行し、当法人内の関連施設やクリニックに置いて広く読んでもらおう! という取り組みを行っています。このミニ新聞が『月刊きょうと』です。ずいぶんと身の程知らずのネーミングだと思われるかもしれませんが、恥も外聞もないのが素人集団のいいところだと自負しています。
『月刊きょうと』は毎号4ページ構成。1ページ目は「巻頭エッセイ」として、利用者のどなたかに原稿を自由に書いていただいています(こちらはバックナンバーをウェブに公開しています)。2~4ページ目は「今月のお題」として、毎月ひとつ決めたお題について、通所者の皆さん(だいたい25名前後)とスタッフが短い原稿を寄せ合う形をとっています。そしてページ末尾に「新メンバー紹介」と「編集後記」を掲載するのが通例です。
「今月のお題」のお題はバックアップセンターのスタッフ一同で考案しているんですが、なかなかいいお題が浮かばず、朝のミーティングが重苦しい雰囲気になることもしばしばです。ちなみに今までのお題を列挙してみると、創刊号は「初任給で買ったモノ」で第2号が「宝くじで3億円当たったら何に使うか」、それ以降はたとえば「私が見かけた有名人」「私の職業病」「買って失敗したモノ」「私のひそかな自慢」などなど……。こうして改めて振り返ってみると、飲み屋で友だちとクダ巻いて喋ってるときの話題みたいな代物ばかりですが、このあたりに我々スタッフの教養レベルが反映しておりまして(笑)。もっと高尚なテーマにすればカッコいいんでしょうけれど、皆さんに聞いてみたいこと、読んでみたい原稿となると、どうしてもこういったお題になってしまうんですねえ。
こんなゆーるい感じで作られている『月刊きょうと』は、宇治おうばく病院や京都駅前クリニックの外来、当法人のカウンセリングルーム(京都駅前ルーム&おうばく駅前ルーム)の待合コーナーに毎月置かせていただいています。そして嬉しいことに、毎月のように取っていってくださるかたが結構いらっしゃるんです。毎号200部くらい印刷しているのですが、8割くらいは無くなるのが通例です。
今回の第100号は、月に1度の発行ですので8年と4カ月をかけて達成したことになります。どうして達成できたかといえば、ひとえに原稿を書いてくださる通所者の皆さんのおかげです。謙遜でもなんでもなく、本当にそう思います。
さらに加えるなら、飽きられることなく広く読んでいただけているのは、「バックアップセンターきょうと」を卒業されるかたがいると同時に新しく入ってこられるかたもいて、執筆メンバーが常に少しずつ入れ替わりながら続いているからだとも感じています。
もしもこれが、ずーっと同じ執筆陣によって作られている機関紙であったなら、いくら毎月「お題」を変えたとしても、同じような誌面が続いて次第に飽きられていたでしょうし、執筆陣も疲弊していったことでしょう。しかし、執筆陣が少しずつ新陳代謝し続けていることによって、自ずと誌面のフレッシュさが維持されますし、執筆陣も疲弊せずに書き続けられているのではないかと思うのです。
『月刊きょうと』は創刊以来、とくに進化もしていませんが衰退するわけでもなく、毎月いつも一定のトーンを保ち続けています。これは簡単なようで実はとても難しいことで、ではなぜそれが実現できているかといえば、メイン執筆陣である利用者の皆さんが卒業と入所という形で新陳代謝しているからです。
方丈記に「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という一文があります。川の流れはいつも同じように見えるけれど、その川の流れを作っている水そのものは一瞬たりとも同じではない。すなわち、川の流れは上流から新たな水が供給され続けるからこそ成り立つ「現象」であって、入れ替わりのない水たまりはいずれ干上がって無くなるか、澱んで沼のようになるかなのです。そしてこれと同じことが、『月刊きょうと』にもそれ以外のさまざまな事象にも当てはまるように感じています。
ずっと同じように続いていると見える事象も、実は見えないところでちゃんと新陳代謝しています。長年にわたって変わらぬ人気を誇っているミッキーマウスにしても、時代にあわせて体型や表情を少しずつ変化させているからこそ、いつの時代も多くの人から支持され続けているのです。数十年前と現在のミッキーマウスを見比べると、その違いの大きさを実感していただけることでしょう。
一方で、新陳代謝することなく変化もしないまま経過した事象は、その多くが風化し、朽ち果て滅びていったはずです。放置家屋しかり、なめ猫グッズしかり。
一定の変化を続けることによってはじめて、物事は「変化しない」状態を維持できます。物事に限らず、結婚生活などの人間関係もそうでしょうし、そもそも私たち生命体自体が、古い細胞を卒業させながら新たな細胞を作って……という新陳代謝を絶えず繰り返しているからこそ維持される現象です。
どのような現象もいつかは終焉しますが、通算100号を迎えた『月刊きょうと』も、原稿を書いてくださった数多くの通所者の皆さんに感謝しつつ、100号を通過点として地味ながら末永く続いてほしいなァとひそかに願っています。
ちなみに本コラムなどは、なんの新陳代謝もないまま私ひとりで書き連ねているだけなので、どうなっていくかは言わずもがな。しぼみゆく風船のような変化を遂げる定めにあるわけですが、そもそも膨らんでいない風船はしぼむこともないので「気がつけばゴムが劣化している」ような変化で済むかもしれないと、自身を奮い立たせております。
文責:臨床心理士・名倉