おうばく通信
おうばく心理室コラム
2013年8月 5日 (月)
【おうばく心理室コラム/2013年8月】否定も肯定もできないときの対応法
カウンセリングでは基本的に、患者さんの訴えに対して受容的、支持的に接するよう心がけています。「離婚したいんです!」とおっしゃる場合でも、「離婚はしないほうがいいです!」などとカウンセラーの価値判断を押しつけるのではなく、離婚を真剣に考えるしかない程に追いつめられている患者さんの状況や気持ちを、共感的に受容・支持することを優先させます。
ただ、場合によっては「受容」や「支持」、「共感」が難しいケースもあります。そこで今回は、そういったケースにどう接するのがいいかを考えてみたいと思います。
1.統合失調症などによる妄想
実在しない声が聞こえてきたり、実際には起こっていないことを起きていると錯覚したりする症状です。たとえば、「自分の考えていることが世界に筒抜けになっていて、世の中の人がみんな自分の秘密を知っている」という感覚が症状として募ると、自宅に盗聴器が仕掛けられていると思い込んだり、自分の身辺をスパイが嗅ぎまわっていると思い込んだりしてしまいます。そして、自宅の前に車がとまったりすると「CIAの工作員だ!」、日によって車種が違うのも「スパイのプロだから入れかわり立ちかわり車を変えて監視してるんだ!」という具合に、確信をどんどん深めていくのです。
常識的に考えれば、一介の市民にすぎないアナタのことを米国の諜報機関がわざわざスパイするわけないでしょう、自宅の前にも車くらいそりゃとまりますよ、それも毎日同じ車ならともかく違う車でしょう!? …てなことになるでしょうけれども、そんな常識は本人には通じません。このコラムを読んでおられる貴殿だって、ご自身の秘密を世の中の人たち全員が本当に知っていたら、きっと同じような発想にとらわれるのではないでしょうか。
では、こういった妄想にとらわれている患者さんに対してどう接するか?
「CIA工作員が自宅を毎日監視して秘密を世界に流している」という訴えに対して、スタッフが「なるほど、そうなんですね!」などとそのまま受容、支持、共感してしまうと、「やっぱり私の直感は正しかったんだ」と、患者さんの妄想を一層強固にしてしまう危険があります。これは明らかに反治療的です。
かといって、「そんなの妄想ですよ。現実にそんなことあるわけないでしょう」などと相手を否定してしまうと、「この人は自分のことを全然理解してくれない!」となって、治療において大切な信頼関係を壊してしまうことになります。これも同じく反治療的です。
肯定するのもダメ、否定するのもダメ。ではどうしたらいいか?
絶対的な正解があるわけではありませんが、基本的には、そのような妄想にとらわれているつらさには共感しつつ、現実に起こっている事実としては扱わないというスタンスをとることになります。「CIAに毎日監視されている! なんて感じながら日々を過ごしておられるとしたら、並たいていのつらさではないと思います。毎日ほんとうに気が休まらないでしょう」と患者さんの心情には共感したうえで、「ただ、罪もない一般人の日常をなぜCIAが巨額の費用を使って監視するのか、本当に監視しているのか、僕にはちょっと分からないというか、信じられないというのが正直なところなんですが…」といった具合に、それが現実かどうかは少なくとも保留にとどめるのです。
治療としてはもちろん、薬物療法や心理教育などがその後も行われるわけですが、その場のやりとりとしてはこういった対応をしたうえで、日常的な話題、たとえば「ところですっかり暑くなりましたよねえ…これだけ暑いと食欲が落ちたりしてませんか?」「ちなみに昨日の夜は何を食べました?」「あー、鮎ですか。たで酢でいただくとサッパリして美味しいですよねえ」といった会話に持っていって、やりとりを終わるようにしています。妄想にかかわる話題のまま会話が終わると、その後も妄想的な内容についてグルグル考えてしんどくなる患者さんが多いので、できるだけ日常に意識を戻していただけるようにとの配慮です(筆者が当院に就職したとき、先輩から教わったことのひとつです)。
2.認知症による物忘れ
多くの認知症、とりわけアルツハイマー型の認知症では、短期記憶と呼ばれる能力が顕著に低下します。
「メシを食わせてもらってない!」「メシはまだか!」と執拗に訴えられます。しかし実際には30分ほど前にちゃんと食事が提供されているのに、こんな風に訴えられる。「そうですよね、お食事が出てないですよね」と支持すると、やっぱりそうだ! メシも食わせないなんてひどい! 早くメシを持ってこい! となってしまいます。かといって、「さっきお食事出したばかりじゃないですか」と事実を伝えても、患者さんは記憶がないわけですから、「いや、絶対食ってない!」と押し問答になってしまうだけです。
ここで大切なのは、訴えの背後にある心性に目を向けてみることです。
考えてみると、胃には食事が入っており、血中糖濃度も上昇し、満腹中枢も満たされているのです。つまり、このような訴えは空腹感によるものではない。しかし、繰り返し繰り返し、メシはまだかと訴える。いったいなぜなのか?
このことの背景には、自分の能力低下を感じていることによる心細さ、自分の力だけでは生活がままならない寄る辺なさ、家族から引き離されて入院生活を送っている寂しさなどが入り混じった、漠然としているけれども強烈な不安があると推察されます。そして、そのような不安から、自分は次の食事にありつけるんだろうかという恐怖が現れたり、ものを食べることで安心したいという無意識の力動が募ったりするのではないでしょうか。
したがって、メシはまだかとの訴えに対しては、「いま次のお食事の準備をしているところです」「もうすぐお出ししますから、もう少しだけお待ちいただけますか?」といった対応をすれば、訴えを否定することなく、ウソをつくこともなく、患者さんに落ち着いていただけるでしょう。
なお、統合失調症や認知症の患者さん以外にも、人の生命にかかわる場合(自殺や他殺についての言及など)を筆頭として、対応が非常に難しいケースは多々あります。こういったケースへの関わりについても考えるところはいろいろとあるのですが、またの機会があれば改めて…ということで今回はご容赦いただければと思います。
そういえば私自身、数年前に骨折して手術を受けたとき、術後しばらく経っても痛みが続くこと、皮膚にまったく感覚のない部分があることを主治医に訴えたところ、「あー、気にしなくていいですよ」と言われてひっくり返りそうになったのを思い出しました。気になるから訴えてるのに、気にしなくていいって言われても…。だったらどんな症状も、「あー、気にしなくていいですよ」の一言で片づいてしまうじゃあないですか。
こういう心無い言葉は、臨床の場ではもちろん、普段から口にしないよう心がけたいものです。
文責:臨床心理士・名倉