おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2013年3月 1日 (金)
月刊きょうと/「raison d’etre(レゾンデートル)」(2013年3月)
今回は利用者のDOL-Bさん(男性)に、人の存在意義についての考察を書いていただきました。
私が子供の頃の「遊び」といえば、「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」、「馬跳び」等々、友人らと一緒に遊んでいたものでした。
現在では、やはりゲーム。プレイステーションやWiiやDS、PSP、Xbox、PC等々を使ったゲームです。ファミリーコンピューターで、一人プレイの貧弱なゲームなどからスタートし、次第にハードウェア及びソフトウェアの進化に伴い、様々なソフトウェアがオンラインを前提としたゲームを発売。数年前からオンラインゲームが主流になりました。
オンライン系ソフトウェアでは、ゲームに参加する人たちが、自分のキャラクターを作り、同じように参加しているキャラクターと協力し合って仮想空間でゲームを進めます。
仮想空間とはいえ、ゲーム内では、キャラクター同士で挨拶もしますし、仲良くなると日常会話をしたりすることもあります。現実世界で、顔を見ながら挨拶はできなくても、自分の代わりのキャラクターとしてなら、チャットを使っての挨拶や日常会話ができる人もいるでしょうし、そういう意味で仮想空間は、かなりハードルが低くなっているように思います。
チャットには、言語表示や顔文字を使った言語チャットから、音声を使った音声チャットや自分の顔を映し出しながら行うビデオチャットまで様々あります。人それぞれが、自分で許せると思える範囲までで、チャットを使って複数の他キャラクターとコミュニケーションをとることができます。
ビデオチャットなどは、ほとんど現実世界と同じで、他のチャットも現実世界で使うコミュニケーションとほとんど同じ能力が必要となります。それは、こちらから挨拶しても挨拶してくれないとか、毎回言い掛かりをつけてくるとか、嫌がる行為を繰り返すキャラクターは、敬遠されていきます。ゲーム世界でも、やはりコミュニケーション能力が必要だと思います。
一人で行うゲームから、他者とコミュニケーションを取るゲームへと進化している状況を見ると、結局、人は、他者とのつながりを求めて、意志疎通ができて、感情などを共有することで、喜びが広がり大きくなるのではないのでしょうか。例え小さな喜びであっても、悲しみであっても、他者と共感することにより、自分自身の「存在意義」を確認することができるのではないかと思います。
私は、小学生の時に「いったい自分とは何なのか」ということを考えた事があります。今となっては、ボキャブラリーも知識も増えたので、それは、「自分自身の存在意義」を考えていたのだとわかりました。
存在意義がなければこの世から消えても良いのか。いったい自分は何のために存在し、何のために今ここにいるのか。とても深い疑問でした。人によっては、価値観の相違があり、考え方は千差万別ですが、私はこう思います。
それは、「人に同苦する慈悲の心」です。
人と同苦するツールとしてコミュニケーション能力が非常に大切だと考えています。他者とコミュニケーションをとり、意思疎通ができることの喜び。また、自分が他者の喜びとなる存在であること。私の言動や行動によって、人の役に立つこと。私は、そこに自分の生きる道、存在価値があると確信しています。この世に必要でない人などいない。病人であっても使命があり、人に喜びを送ることができます。
BUCで学んでいる「コミュニケーション」は、とても重要だと感じています。