おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2012年11月 1日 (木)
月刊きょうと/「空を見上げて」(2012年11月)
今回は利用者のくま男さん(男性)に、空(そら)にまつわるエピソードと、その魅力について書いていただきました。
私は、航空機好きです。正確には、航空機を「見ること」が好きです。
午前11時を過ぎた頃の、バックアップセンター・きょうと。
パソコン入力の合間に、窓際にあるデスクトップから視線を外せば、東本願寺の存在感ある瓦の色、そして青く澄んだ秋の空が、一時、疲れた目を癒してくれます。
そこに、京都市の上空を通る航路を西へと進む、一機の、とても小さく見える白い機体に、しばし心を奪われます。「どこへ向かうのだろう」と。
ご存じの方も多いと思いますが、大抵の航空機は基本、地上にある施設からの電波を受けながら、「航空路」という、見えない「空の道」を通ります。関西は空港が密集しているため、数多くの空の道が交わり、見上げれば意外と簡単に、西行き、東行き用といった、空の道を見つけることができます。
仕事に疲れた時、気分が晴れない時、私は空港や、大阪の市街地に出かけます。目的は、「空を見上げること」。全力で大空へ旅立って行く機体、まもなく終わる旅にそなえて、ゆっくりと高度を下げて行く機体。そんな「日常」を眺め、音を聴き時間を過ごします。
1996年4月。長野五輪を前にした人手不足に乗じて、放送業界へ何とかすべり込んだばかりの新人の私は、長野県更埴市(当時)で発生した、大規模な山火事の取材をしていました。(ただ、がむしゃらに現場を走りまわっていただけですが…)。
日の出を合図に、多くのヘリコプターが、上空に殺到しました。間もなく、今でも忘れられない、甲高い金属の衝突音にふり返ると、鈍い爆音とともに、地元のTV局のヘリ同士が衝突し墜落しました。操縦士、報道関係者6名が命を落とす大事故。つい数時間前まで、私を指導してくれた先輩も亡くなりました。防げたはずの事故。最後に別れた時の、「まあ、頑張れよ」という言葉が今も心に残るとともに、悔やまれてなりません。
これを機に、私は「航空機恐怖症」になり、旅行は国内。絶対、鉄道移動派!となりました。しかし、仕事で避けられず、何度かヘリに搭乗することになりますが、そのときの「散々」な始末は、ご想像におまかせします…。
こんな私がなぜ、「空を見上げ」癒されるのか。きっかけは、職場に配備された、新しい無線機の調整をしていた時のことです。偶然、とある空港の管制無線に周波数が合いました。内容は実に事務的で、驚くほど早口の英語。どの交信も、マニュアルに従って、航路の確認や、風向風力など最低限の情報が交わされているだけでした。しかし、一機、一機と離陸する度に管制官が投げかける一言にハッとしました。
「えーっ、それでは、good day」
「これをもってあなたの機と、管制塔との交信を終えます」という、事務的な意味合いがあるそうですが、この一言にほんの少し、心が温かくなったのを覚えています。
「good day」
これから先の、長い旅の安全を願う気持ちが込められていると思うからです。決められている交信だとしても、そこに人間の温かい、「切っても切れない心の繋がり」を感じます。
バックアップセンターから再び「離陸」する時。その先の、長い旅に必要な「勇気」が必要な時。背中を押してくれるのは、スタッフやメンバーの皆さんからの、「good day!」という、心の声であると信じて。
私は、今日も、空を見上げます。