おうばく通信
おうばく心理室コラム
2011年11月 4日 (金)
【おうばく心理室コラム/2011年11月】「幸せ、について二言、三言」
「どうすれば幸せになれるんでしょうか?」
カウンセリングの中で時折こんな質問を受けることがあります。
もちろん即答できるはずもなく、またカウンセラーの個人的な見解を押しつけるのもよくないと思うので、「○○さんはどのようにお考えですか?」「その答えを探すきっかけとして、○○さんが今までどんなときに幸せだと感じたかを聞かせていただけますか?」等、とりあえずは定石的な受け答えをすることになるわけですが。
心理学の知見に基づくなら、ひとつ言えることがあります。キーワードは「自己効力感」です。
その前に、私たちはどんなときに幸せを感じるのか、ちょっと考えてみたいと思います。
普通に考えると「いいことがあったとき」ということになるでしょうか。たとえば、宝くじに当たって何億円という大金が突然転がり込んできたとか。いやー、こうして書いているだけでも羨ましい限りですねえ。
しかしながら宝くじ当選者を追跡調査してみると、一年くらい経つと幸福度は当選前と変わらないレベルになっているという報告がありますし、自分に近づいてくる人々はカネ目当てではないかと疑心暗鬼になって不幸になってしまう人もいると聞きます。
生物学的な視点から考えると、幸せという感覚は報酬系(A10神経)の働きによるもので、個体の生存を有利にさせるため進化してきたということになります。つまり、自らの生存や生殖の可能性が高まるときに快を感じるよう生命体としてプログラムされている、だからこそ不眠不休でクタクタになるまで働いたあと寝床に入ったときや、お腹ぺこぺこでご飯をほお張ったときなどに幸せを感じるというわけです。
ただ、衣食住に困窮することがほとんどなくなった現代の日本社会においては、こういった原始的な幸福は「あって当たり前」という感覚で、それだけでは満足できなくなっているように見受けられます。
どうして私たちは、すぐに幸福に慣れてしまうのでしょうか? 宝くじに当たって大金を手に入れたらなぜずっと幸せでいられないのでしょうか? 食べるものに不自由しない生活を送っているのになぜずっと幸せでいられないのでしょうか?
このあたりの人間性に重きをおいた理論としては、心理学者マスローの「欲求段階説」が有名です。マスローによれば、私たちが幸せを感じるのは欲求が満たされたときであり、その欲求には次のような5つの段階があるとされます。
1.生理的欲求:食欲・性欲・睡眠欲などの欲求。
2.安全欲求:危険を回避できる住居など、安心できる状態を望む欲求。
3.社会的欲求:他人と交流したい、組織や集団に所属したいという欲求。
4.自尊欲求:他者から認められ尊敬され、自信を持ちたいという欲求。
5.自己実現欲求:自己成長して能力を発揮し、あるべき自分の姿への到達を望む欲求。
そして下層の欲求が満たされると、その上層の欲求が生じるというわけです。ただ、いくら社会的欲求や自尊欲求が満たされても幸せを実感できない人もいますし、そこから先の自己実現に進むことができないでいる人も多いのではないかと思われます。
では、私たちの幸せはいったい何によって規定されているのでしょうか?
冒頭で述べたキーワード、「自己効力感」の見地から述べると、私たちの心は「自らの努力や行動によって結果をつかみ取ったときに満足感や幸福感を得る」ようチューニングされているということになります(自己効力感とは、自分が何かすれば結果につながるんだ! という感覚を意味する言葉です)。
いや、そんなことはない! 俺が憧れるのは他力本願だ! 不労所得だ!! とおっしゃる向きもありましょう。しかし考えてみてください。同じ大金を手に入れるにしても、宝くじでポンと転がり込むのと、必死で努力してクイズ番組の賞金を獲得したのとでは、満足度・幸福度がまったく違ってくるのではないでしょうか。
自己効力感の理論に基づくなら、どれだけ恵まれた生活をしていようとも、自分では何もコントロールできず周囲に何の影響も及ぼせなくなくなったとき、私たちは不幸に陥りやすいのです。
心理学者セリグマンに学習性無力感の研究という有名な動物実験があります。自由を奪った犬に電気ショックを与え続けるのですが、その際、犬を次のような2群に振り分けました。
1.コントロール可能群:目の前のボタンを押すと電気ショックが止まる。これが何度も繰り返される。
2.コントロール不能群:目の前のボタンを押しても電気ショックは止まないが、コントロール可能群がボタンを押すのと連動して電気ショックが止まる。これが何度も繰り返される。
そのうえで今度は、それぞれの群の犬を逃避訓練ボックスという箱に入れます。左半分が電流床、右半分が普通床になっているところの左側(電流床)に犬を放ち、右側(普通床)に移動すれば電気ショックを回避できるようになっています。
その結果、コントロール可能群の犬はすぐ普通床に移動して事なきを得たのですが、コントロール不能群の犬はずーっと電流床にとどまって電気ショックに耐え続けた挙句、胃潰瘍などのストレス症状で死亡してしまったのです。
コントロール可能群も不能群も、受けた電気ショックの量はまったく同じです。なのに、両者のあいだには生きるか死ぬかの違いが生じた。ということは、同じ大きさのストレス(苦痛)であっても、それを自分でコントロールできるか否かによって、心身への影響度は大きく大きく変わってくるのです。
ここで冒頭の疑問に立ち返ってみます。どうして私たちは宝くじに当たってもずっと幸せでいられないのか? 食べものに不自由しない生活を送っていてもずっと幸せでいられないのでしょうか?
それは、「努力したから手に入った」感覚が欠如しているために、自己効力感というガソリンが枯渇してしまったからだと考えられます。その枯渇した状態から抜け出すには、自らの努力や行動が結果につながるんだ! という生き生きとした感覚を取り戻すことが必要なのかもしれません。
蛇口をひねればジュースが出てくる、みたいな生活は、私たちを本当に幸せにするものではありません。むしろ、がんばって栽培した果実をギュっとしぼって飲んだときの充実感こそが、私たちの幸せの源になるのではないでしょうか。
カウンセリングにおいても、自己効力感はとても大切な要因のひとつとして常に意識していることのひとつです。とりわけ「C-BASP」「解決志向アプローチ」といった技法は、ともすると曖昧になりがちな自己効力感を、患者さんと一緒に再確認しながら育んでいく点に重きをおいています。
どうせ何をしたって同じだ、状況が変わるわけがない…といった虚無感にさいなまれている方は、もしかすると自己効力感の枯渇症状かもしれません。そんなときには、よければご相談をいただければと思います。
文責:臨床心理士・名倉