おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2011年4月29日 (金)
月刊きょうと/「演劇にハマる」(2011年5月)
今回は利用者のKさん(女性)に、演劇の魅力ついて書いていただきました。
6年前だったろうか、その時の記憶はあいまいで、なぜその場所にいたのかも全く思い出せないが、とにかく私は映画館の前にいた。
上映作品のポスターをなんとはなしに見ていると、他とは明らかに違うものが目に入った。なんだろう。ゲキ×シネ? 映画館で演劇? 古田新太…TVでたまに見る。結構好き。舞台とかやる人なんや。ふ~ん、おもしろそう。観てみる? そんなノリだった。
始まってすぐ、なんだこの映像。めちゃめちゃクオリティー高いやん。映画じゃないよね、舞台映像だよね? にしても、この爆音は何!?耳がおかしなる~。
と思ったのは一瞬だった。気付いた時にはスクリーンに釘づけ。これを「生」で観たい! それが私の演劇との出逢いだった。
それからというもの、私はさまざまな芝居を観あさった。
何がそんなにハマるのか。それは緊張感だ。そこに役者が存在すること。いままさに目の前で生身の人間が演じていること。そして舞台は「生もの」だということだ。
同じ役者が同じ芝居をしても、全く同じ舞台はない。そこには観客が存在するからだ。観客の反応に合わせて、セリフのスピードや抑揚、間(ま)の取り方、ときには動きすらも変える。いや、変わるのだ。芝居は観客がいて初めて完成品となる。その感覚が私を虜にする。映画やドラマなどの映像では味わえないもののひとつだろう。同じ芝居を複数回観ることもあるのはそのためだ。
役者を好きになるポイントもまた映像のそれとは異なる。対応力だ。ライブだからこそのアドリブやアクシデント、観客や相手役の反応への機転を利かした切り返しなど、瞬時に対応する力に優れた役者にグッとくる。対応力を発揮するとき、役者の度量やその人らしさが垣間見られる。その瞬間がたまらない。
"The show must go on!"
芝居は始まったら何があっても止められない。そんなスリリングな状況をくぐり抜けていく役者の姿はとても人間くさく、その人の生き様を見るようでしびれるのだ。
その生き様で私を魅了してやまない舞台役者、その最たるものが古田新太だ。
初めて観たゲキ×シネの主役が彼でなかったら、演劇にハマることはなかったかもしれない。私があの時スクリーンに釘づけになったのは、古田新太、その人が登場した瞬間だった。その存在感、身にまとったオーラ、粋な着流しに赤ふんどしといういでたちに、いなせな立ち振る舞いは色気さえ感じさせた。一目ぼれだった。
冷静に考えたら、小太りのおっちゃんが、角刈りに襟足だけ長い…そうジャンボ尾崎のような髪型にド派手なメイク、しかも金髪。これでアッパッパーを着ていたら、完全に大阪はミナミのおばちゃんだ。それを観て目がハートになってしまうなんて、ありえない。おかしな魔術でもかけられたような、そんな不思議な力が演劇にはある。
当時の私の観劇スタイルは、古田新太が出演する芝居を観る。すると共演者に気になる役者がいて、次はその人を目当てに芝居を観る。そして、そこでも気になる共演者がいて…。
一時期は収拾がつかないほど手を広げ、むさぼるように芝居を観た。観るもの観るもの新鮮で、もっと観たいもっと、という気持ちはとどまることを知らなかった。
役者目当ての観劇を続けていくうちに、好みの作品には共通の劇作家や演出家が関わっていることに気付き、彼らの作品は出演する役者にかかわらず観るようにもなった。今はかなり収束してきた感もあるが、新鮮さも観劇への欲望もつきることがない。もうこれ以上のものはないだろうというくらい感動する芝居に出逢っても、それをあっさり超えるものが必ず現れるからだ。
そんな素晴らしい世界へ誘(いざな)ってくれた衝撃のゲキ×シネ体験。あの時観た「劇団☆新感線『髑髏城の七人~アカドクロ』」は、この先どれだけ多くの芝居を観ても一生忘れられない作品であることは間違いない。