おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2010年10月28日 (木)
月刊きょうと/「リテラシーをめぐる問題について」(2010年11月)
今回は利用者のだばぁさん(男性)に、リテラシーをめぐる問題について書いていただきました。
《2010年クリスマス中止のお知らせ》
突然ですが、本年度のクリスマスが中止となることを読者の皆さんはご存知でしょうか。昨今話題となっている多剤耐性菌による感染拡大のリスクを避けるため、と日本サンタクロース協会から発表されています。七面鳥やフライドチキンはこの細菌の感染源であるとされ、危険であると警告されています。
念のため言っておきますが、もちろんクリスマス中止なんてデタラメで真っ赤な嘘です。あなたは一瞬でも信じたでしょうか。もし信じたのであれば、これから筆者が書くことはあなたにとって重要なことかもしれません。
さて、「リテラシー」という言葉をご存知でしょうか。英語でliteracyと綴るのですが、「言語により読み書きできる能力」を意味します。元々は識字能力を指していましたが、近年ではコンピュータなどの使用能力を指す場合があります。
コンピュータと聞くと、真っ先にパソコンを思い浮かべる方も多いと思います。また、年輩の方に限らず、パソコンと聞くと渋い顔をされる方も多いかもしれません。
パソコンなどの情報機器がもはや当たり前となった昨今、この高度な情報化社会において、単に文字を読み書き出来ることのみに飽き足らず、コンピュータを自分が思い描くように使えること―それが文字を入力できることであったり、図や表を自在に作成することであったり、適切な検索キーワードで自分の欲しい情報を手に入れたり、コンピュータの設定を自分の使いやすいように変更できたり―が必要とされてきています。また、必要であるかのような世の中になりつつあります。しかし、コンピュータを自在に使う事が出来る能力―コンピュータ・リテラシーと呼ばれるもの―は本当に必要なのでしょうか。
キーボードやマウスといった入力機器は必ずしも人に優しいものではありません。コンピュータを操作する人間が、コンピュータに振り回されるなど、本末転倒と言ってもよいでしょう。極端な話、メールが打て、好きなウェブページを見ることができれば日常生活には支障ないと思います。
むしろ、ウェブページを見たときに、そのページに書かれている情報がどこまで信用に値するものなのかを見極めることが出来る力―メディア・リテラシーとも呼ばれるもの―こそ必要なものではないでしょうか。このエッセイの冒頭に書かれた「クリスマス中止のお知らせ」を信じることなく、「嘘は嘘であると見抜ける」ことが肝要ではないかと筆者は考えています。
インターネットの普及以前からあった、テレビやラジオ、雑誌や新聞などといった既存のメディアを購読したり立ち読みしたりする、という方は大勢おられると思います。
それら既存のメディアで報じられていることは、本当に事実なのかを疑ったことはあるでしょうか。
真っ当なテレビのニュース番組であっても、番組製作者は視聴率を稼ぐことが要求されるわけです。ちょっとした言葉の綾で、些細なニュースをさも重大なもののように報じたり、重要な出来事があたかも何もなかったかのように報じられる。時として、罪のないごく普通に暮らす一般人が凶悪犯罪犯として祭り上げられ、仲の良くない国との付き合いをまるで上手くいってるかのように報じる―
マスコミの流す情報を鵜呑みにすることなく、自分の頭で考えることがこれからの世の中において問われると考えますが、いかがでしょうか。