おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2009年11月 1日 (日)
月刊きょうと/取り留めの無いはなし~僕の自由連想(躁?)法(2009年11月)
今回は利用者の「黄檗の仙人」さん(男性)に、筆が向くまま随筆をしたためていただきました。
先日、僕の親友からメールが来た。「はるちゃん(私の呼称)、あの世ってホントにあるの?」
「いやー、キリスト教の天国はどこにあるのか知らんけど、仏典には、極楽は西方一億万土にあると書いてある。日本には億万という単位はないし、土という距離を表す単位は、インド語らしい。だから地球から西方何億光年の所にあるかは、わからん。あの世って100%ないとはよう言いきらん」とメールで返信した。
その一週間後に親友のお父さんは亡くなった。
自分なりにあの世ってないと言いきれなかったのは、この宇宙がビッグバンで誕生して、宇宙の一番遠い星まで行くのに137億光年。そして今も宇宙は膨張し続けているらしい。
じゃあ、200億光年さきはどうなっているの?何かの本で読んだけど、もちろん仮説だけど、今の宇宙があっちこっちにいっぱいあって、宇宙から宇宙へは行き来できない、と書いてあったのを読んだ記憶がある。じゃあそのいっぱいある宇宙の外側はどうなってんの?
親友は家を新築する時、亡くなったお父さんは仏間がほしいと言っていたのに、親友はそれを聞きいれなかった。親友はもともと無宗教家というより、宗教大嫌いの人だった。一週間後にお父さんが亡くなるという、そんな悪い状態やったら、あの世は99%あると答えておくべきだった。
ところで19世紀の思想家で天才といわれた、ニーチェ、マルクス、フロイトは、宗教について次のように言っている。
ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』の第一部の中で「すべての神々は死んだ」。
マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序論』の中で、「宗教は逆境に悩める者のため息であり、それは民衆の阿片である」と。
フロイトにいたっては、「宗教は幻想の産物であるとし、だれにでも訪れる死という困難な現実に何とか打ち勝ちたいという願望の産物が霊魂の不滅などといった教えを作りだす。したがって宗教は、解決不能に見える困難がはびこる現実世界を、人々の願望と幻想によって変えようとする試みである。つまり宗教は幻想にしかすぎず、われわれの本能的願望に迎合する産物なのだと繰り返し述べている」と何かの本で読んだ。
アメリカ人の半数以上はダーウィンの進化論を知らないと聞いたことがある。またアポロの乗組員が地球へ帰還後、牧師になった人が多いらしい(特に宇宙遊泳を体験したひとに)。またホンダの首脳陣がロボットを作るにあたって、ローマ法王まで会いに行き、どこまでロボットを人間に似せて作ってよいものかを聞きにいったらしい。
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すいません。依頼されていた文字数が足りない。どうしよう。
原稿の締め切りは今日の正午。締め切りよりもう一時間半も過ぎている。原稿を依頼された仏様のN氏が鬼の顔のように頭に浮かんで来る。今月のテーマは何だったっけ?「子供の頃の、将来の夢」か。じゃあ、僕の今の夢を書いてゆるしてもらおう。
ほんとは世界放浪の旅がしたかった。松尾芭蕉や山頭火みたいに俳句の才能があったら。
今でもやりたい夢は、マッターホルンに登ること、ロスからニューヨークまでハーレーでアメリカ大陸を横断すること。ハリウッドも行ってみたいし、ヨーロッパの都市、アルル、アントワープ、ハイデルベルグ、ザルツブルグ、フィレンツェ、ミラノ、アテネ、コペンハーゲン。ベルサイユ・アルハンブラ宮殿。ウィンザー・シオン・ノイシュバーンシュタイン城。シエナ・ノートルダム大聖堂。他は桂林、マチュピチュ、タジマハール、リオ等々。(ここまでは、ただの字数かせぎ?)
ダイビングが好きだったので、モルディブ、モーリシャス、ニューカレドニアへも。
最後はゴーギャンの愛したタヒチへ行きたい。ゴーギャンの絵『われわれはどこから来たか、われわれとは何か、われわれはどこへ行くか』という長い(というよりは「永い」)タイトルの絵を頭に描きながら、「宇宙」へと続く真っ青な空を見上げ、砂浜に寝転んで、トロピカーナなカクテルでも飲んで、昼寝をしたい。