おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2009年4月 4日 (土)
月刊きょうと/私は泣き虫(2009年4月)
今回は利用者のH・Tさん(男性)に、「泣くということ」について書いていただきました。
私は泣き虫である。
子供の頃泣くと言うと転んでケガをしたり、ちょっとしたケンカで泣いたりしたものであるが、大人になると泣く事への感情が増えてきているように思われる。
悲しくて泣く事もあるが、怒って泣く事や笑って泣く事もある。又、ある事柄に感動して泣くことも多々ある。
大人になってから悲しいことで泣いたことは、当たり前のようだが家族の死(祖父・父)である。自分では冷静にいたつもりであったが、葬儀が始まると人目も憚らず涙を抑えきれず思いっきり泣いた。今でも一人でその時のことを考えるとよく涙が出る。
又、うれしいことで泣いたことは、子供が生まれたときである。私には娘が3人いて3人とも出産に立ち会ったが、特に1人目の時は初めてのことで感動して涙をこぼしてしまった。
ここ数年は子供のことでもよく泣くようになった。昨年の幼稚園の音楽発表会では私の子供は年少で出番がまだなのに、最初のプログラムで年長の子供たちの歌声を聞いて感動してしまい、涙したこともある。又、今年の音楽発表会では自分の子供が一生懸命歌を歌っている姿に感動して泣いてしまった。
テレビ番組でもスポーツ・ドラマ・映画・ドキュメンタリー番組等々ですぐ感動して目頭が熱くなり涙が出そうになる。妻や子供の前では恥ずかしいので我慢しているが一人のときはよく涙が出る。
とにかく大人になるにつれ確実に泣き虫になってきている。大人になると「涙腺」が弱くなるというがまさにそのとおりである。
泣くというのは涙が出ることであるが、「涙」というものは広辞苑で調べると「眼球の上外側の涙腺から分泌される液体。常に少量ずつ分泌されて眼を湿し、かつ洗う役目があるが、精神感動や諸刺激によって分泌が盛んとなる」と記されている。
又、泣くと鼻水も多量に出るが、これは眼から鼻への管に涙が流れ落ちたものであり、泣いているときの鼻水も涙の一部である。
泣くという行為は、人間の心(精神)の働きによって起こる行為であるが、笑ったり怒ったり又、悲しんだりする感情があふれ出てくるものであり、泣くのを我慢するとストレスがたまってしまう気がするのであまり泣くのを我慢しないほうが良いかもしれない。
涙は「心の汗」と言う人もいるが、私は「心のダム」に溜まっているものだと思う。
少しずつ放流したり、時には一気に放流したりしたほうが良いのではないか、そうでなければ「心のダム」が決壊してしまうような気がする。
人生生きていく中で、いろいろな感情が湧き上がってくるが、すべての感情において泣くという行為が起こりえるのである。どういった感情・感動で泣くかは人それぞれ違うが、涙は溜めすぎずに時には思いっきり泣いて「心のダム」に溜まった涙を流し、ストレスにならないようにしたい。
家族や人前で泣くのは少し恥ずかしい気がするが、感情・感動の表現のひとつである泣くという行為は、自分の喜怒哀楽をより表現でき他の人に自分の感情をよく伝えられるものである。
「泣き虫」が良いか悪いかは人それぞれで思うところがあるが、私はこれからも「泣き虫」でありたい。できればうれしくて泣くことが多いほうが良いが、人生悲しい出来事もあるだろう。だが自分の感情を抑えるよりは泣く事によって自分を表現していくほうが良い。
幸い私には娘が3人いるので将来はうれし泣きがたくさんあることを願いたい。
その時、私は「心のダム」が枯れてしまうほど泣くだろう。