おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2009年3月 1日 (日)
月刊きょうと/一日一生(2009年3月)
今回は利用者のT・Sさん(男性)に、大阿闍梨さんの魅力について書いていただきました。
二年間でマラソンとセーリングだけで地球を一周するアースマラソンに挑戦中の間寛平さんは、無事に日付変更線を越え航海を続けています。
そんな過酷な寛平さんの挑戦と時を同じくして「千日回峰行」の修行をされている方がいます。今回はこの「千日回峰行」とそれを満行した「大阿闍梨」さん、そしてその著書の紹介をしたいと思います。
「千日回峰行」は、比叡山延暦寺で十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から選ばれたものだけに許される行です。千日回峰行者は、未開の蓮の葉を象った桧笠をいただき、白装束に草鞋ばき、死出紐と宝剣を腰に、もし行半ばで挫折すれば自ら生命を絶つ掟のもとに、1年目から3年目は比叡山中255箇所を巡拝する行程約40キロを休まず各百日間、4年目と5年目はそれぞれ連続二百日、計七百日の回峰をします。七百日終了の後九日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王と一体になる「堂入り」の行を満じます。終盤になると、瞳孔が開き死臭が漂うともいわれる非常に過酷なものです。出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨となります。6年目は一日に歩く行程が60キロになります。最終年の前半百日は比叡山中と京都市中85キロを歩き、後半百日は比叡山中30~40キロを歩きます。こうして7年間で歩く行程は延べ四万キロ近く、地球一周分に相当します。この行を成し遂げた者は、「大行満大阿闍梨」という尊称が与えられ、延暦寺の記録では約四百年間で47人、この行を2回終えた者は3人しかいない。(Wikipedia、『一日一生』)より要約抜粋)
私は、大阿闍梨に一度お会いしたことがあります(上原行照大阿闍梨)。その後私は心の中にこの方の爽やかな笑顔を忘れることができませんでした。
私の病気が再燃し、もう一度大闍梨にお会いしたくなり、再び比叡山に行ったときでした。偶然にも、千日回峰行者の「堂入り」の場面に遭遇いたしました。
その後の一週間は何故かその行者の方が気になって仕方なく、結局9日後も登山しました。10月とはいえないようなとても寒く月星がきらめく深夜、多くの信者の方が真言を唱える中、お堂の中から荘厳な般若心経の読経が始まりました。鐘が打ち鳴らされると固く閉じられていた正面の扉が開き、強烈な匂いのお香となんとなく死臭の匂いの混じった独特の空気の中、一人の僧侶に引きずられるように修行僧(光永圓道氏)が出堂されました。それは正に生き仏を見るような気持ちでした。その光永氏は今年9月に満行日を迎えられます。
この千日回峰行を2回も行った方が酒井雄哉大闍梨です。この方の著書『一日一生』の一部を紹介します。
人間は、生の「動」と死の「静」の生まれ変わりの繰り返し。行者は、行の「動」とお勤めの「静」を経て一日を終える。従って人間は一日一日生まれ変わっているとも言える。だからその日何かあっても、明日には生まれ変わるために、一生懸命に反省をすればいい、二度と同じ悪いことを起こさないようにしましようって。そして新しく蘇っていく。今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。一日が一生。今日失敗したから、落ち込むこともない、明日はまた新しい人生が生まれてくる。それは、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよという意味でもある。今が一番大切だって事。今自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないかと。(『一日一生』より要約抜粋)
なんと救いに満ちた言葉でしょうか。
私も一日一日を大切にしたいと思います。また光永圓道氏の無事の満行、寛平さんの成功を祈念したいと思います。