おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2008年4月 1日 (火)
月刊きょうと/ご先祖様の生きた地へ(2008年4月)
今回は利用者の宗肩秀樹さん(男性)に、ご先祖様のルーツについて書いていただきました。
我が家には「お墓」がない。
「ない」ことが子供心にショックで、お墓参りにいく同級生がうらやましかった。
そういう気持ちのないまぜが、ないお墓の向こうのご先祖様に関心を持つきっかけになり、どんな人で何をしていたんだろうと想像を膨らませていた。
そんな子供の頃の記憶がふと甦り、実際に調べ始めたのは、つい最近である。戸籍を百五十年さかのぼり、明治初年にご先祖様は岐阜県I町からやってきたらしい。そこまで分かると、ご先祖様の暮らした土地を、踏みしめたくなり、岐阜県I町に出発した。
四囲の山々は、お椀をふせたようにこんもりと高く見下ろし、迫ってくる。田畑がずっと続いて、風に青い稲が揺れている。曇り空が少し残念だけれども、
「よう来たな!わっはははは!」
陽気な農村の人々の顔が自然に浮かんで迎えてくれる。
ご先祖様は、確かにここに住んでいた。おそらく農家で、畑仕事に精を出していたのだろう。百年前もこの山々を見て暮らしていたのだろうなあ。不意に時間の感覚がわからなくなり、頭がふらついた。
地元の民族資料館へも行った。地図では、近くに思えたが、行けども到着しない。昼ごはんも食べそびれ、足がふらふらで歩き続けた。
民族資料館は田畑の真中にぽつんと建っていた。展示は雑然としていた。I川で発達した漁具、舟、説明パネルが所狭しと並んでいる。別室には、町民から収集したもんぺ、結婚衣装、熊の剥製等、明治から昭和初年にかけての資料が並んでいる。この部屋には不思議と入れなかった。なにか、人の念というか、バリアがはられているようで、無理に入ろうとすると身体がいうことをきかない。気分が悪くなり、そうそうに立ち去った。
気分を取り直して、この近辺を治めていた戦国武将のコーナーを見た。関ヶ原合戦に参戦していたので、その説明パネルも展示してあった。
その隣室を見学していると、先ほどの戦国武将コーナーから、戦いの喚声が聞こえてくる。鎧がすれあう音、金属音が聞こえてくる。慌てて戦国武将コーナーに戻るのだが、何も聞こえない。また行くと聞こえてくる。半分恐くなり、資料館を後にしたが、お腹が空いて、歩けない。もう少しと頑張って、やっと定食屋にたどり着いた。とんかつ定食にビールを一杯、グいっと蘇った。
資料館の不思議な体験は、お腹が空きすぎたための幻聴幻覚なのか? それとも、この土地に住んでいた遠い血の記憶に何かが共鳴したものなのか?
今回の一人旅は、時間もなく、疑問ばかりをおいて来てしまった。今度来るときは、もう少し拾って帰りたい。
帰りの電車も乗客は少なかった。学校帰りの女子高生達が、慌てて乗り込んでくる。これを逃すと三十分待たねばならないらしい。女子高生のおしゃべりで賑わう車内。離れていく我がルーツの土地から「もう帰るのか?もうちょっといろよ」と聞こえてくるようで名残惜しく曇り空の山々を見つめつつ、「また来ます」と心でつぶやいた。