おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2007年6月 1日 (金)
月刊きょうと/父性への憧れ (2007年6月)
今回は利用者のIさんに、「父性への憧れ」というテーマでエッセイを綴っていただきました。
これを機に今いちど、父性について思いを馳せてみるのも一興ではないでしょうか?
日本は母性社会だとよく言われます。
確かに世のお母さん達は、とてもたくましい。頼りない男どもを蹴散らかし、自分の世界を築き上げていらっしゃる。
家庭では、ほとんど家長として君臨し、お父ちゃんの尻を叩き、子どもの教育については殆んど主導権を握っていて、その上、炊事・洗濯・掃除等の家事を担い、財布の紐まで握っていらっしゃる。
まだまだその上に、家計を助ける為に働きにも出ていらっしゃるものだから、世のお父さんたちの出る幕は、ないのも当然の成り行き。休日に寝そべっていれば、生ゴミ扱いされ、タバコでも吸おうものならたたき出されかねない状況。
私が子供だった頃、祖父がまだ生きていました。
祖父は明治生まれのシャキッとした男前で、頑固一徹。地震・雷・火事・親父の時代のオヤジさんでした。
家では、いつも大火鉢の、上座に鎮座して煙管を吸いながら玉露をすすっておられました。孫の私から見ても、畏敬と恐怖の入り混じったオーラを周りに発し、少々煙たい存在でした。
もちろん、躾も厳しく、食事を頂く時は必ず正座させられました。しかも、板の間です。食事中は一言も喋ってはならず、出されたものは全て頂かなければなりません。残したら、食べきるまで正座したままです。だから、たいらげなければなりませぬ。
祖父は躾以外にも、人生を生きて行く上で必要な教えを、子供たちに叩き込んでおられました。孫の私に対しても、大事な事を教えていただきました。それらの教えは、私の身に沁みるものでした。
祖父の教えは、人が人として生きてゆく上で当たり前の事ばかりです。子供でも理解できる簡単なことばかりです。何も知らない子供だからこそ、心に沁みたのかもしれません。そして私が成長するにつれて、その言葉の重要性を実感していきました。
そんな時、私が10歳になると祖父が亡くなりました。享年64歳でした。9人の子供の父であり、孫の数はまだまだこれから増えてゆく時なのに…私が初孫でした。
目標を失った私は、父性を捜し求めました。結局たどり着いたのは、先祖の方々の血を受け継いだ私自身であることに気づいたのです。自分の中に生きている…そう感じるようになりました。
そのような立場で自分の家族を見ると、かわいくて仕方がないのです。母ですら、子供は然りです。
息子は思春期で難しい時期ですから、反抗的な言葉や態度をとったりしますが、それもなにか、かわいいものですから余裕を持って見ていられるのです。いつも心を閉ざしている息子が思い出したように心を開いてくれたりします。
父性というものは、日本ではとても弱いものではありますが、人は男と女しかいないのですから、男は父性を司るべきだと私はおもいます。それが、自然なんじゃあないのかと。