おうばく通信
おうばく心理室コラム
2017年6月 5日 (月)
【おうばく心理室コラム/2017年6月】想い出話の効用について
いつもながら私事で恐縮ですが、先日、「ウルトラセブン50周年展」なる展覧会に知人と足を運んできました。私は特撮マニアというわけでは全然ないのですが、それでも子どもの頃にテレビで親しんだウルトラマンや怪獣たちの姿を目の当たりにすると、非常に懐かしいとともにホッとするような心地よい感覚がありました。
正直なところ、ポリゴンやVFXを駆使した昨今のCG作品に比べると、当時の特撮はどれもチャチで子どもだましの代物です(CGなど皆無の時代にあれだけの着ぐるみや背景をすべて手作りされた職人技には逆に頭が下がりますが)。それでも当時の作品には、最近のCG作品では得られない暖かみがあるように感じます。
歳を取るにしたがって、昔の事柄がいっそう懐かしくなるとはよく言われることです。私の場合も正にそうで、四十歳前後からとみに幼少時のテレビ番組や遊びを懐かしく思い出すようになりました。
特撮だとほかにも仮面ライダーやキカイダー、アニメだと初代ガンダムやアラレちゃん、ドキュメンタリーだとウルトラアイや野生の王国などなど……。
遊びのほうは、じゅんどろ、Sケン、牛乳キャップめくり、ビー玉、コマ回し、ゴム跳び、ゲームウォッチ、そして続くファミコンが世間を席巻していって……。
あまり列挙するとカンペキに歳がバレてしまうのでこのあたりにしておきますが(笑)、こうして書き連ねているだけでも当時の感覚がよみがえってきて、心がちょっと華やぎながらも同時に心安らぐような効用があったりします。
これって回想療法のようなものだなァと我ながら思います。
回想療法(回想法)は高齢の患者さんや認知症の患者さんを対象として発展してきた精神療法です。多くはグループ形式で行われ、スタッフが司会進行をつとめながら参加者同士が想い出話を語り合うことによって、患者さんの情緒面の安定や精神機能の活性化につなげることを目的としています。
とくに認知症の患者さんの場合は、短期記憶(最近の事柄をおぼえる力)は低下していても、長期記憶(昔のできごとに関する記憶)は良好に保たれている傾向があります。自分の短期記憶の低下に不安を抱いて情緒不安定になっている患者さんが、しっかりとしている自分の長期記憶を回想療法の場で確認することによって、自信と安定を取り戻す効果につながると言われています。
当院でも認知症治療病棟において、担当の臨床心理士が作業療法士とともに週1回、グループ回想療法を行っています。この立ち上げには私も携わり、その後も数年間にわたってスタッフとして同席させていただきました。
参加される皆さんは自分よりも目上の年代の方々なので、皆さんにとって懐かしであろうテーマを考えて、いろんな道具や写真を用意したものです。そろばんや洗濯板、蚊取り線香、お手玉、ベーゴマ、ポン菓子、紙芝居などなど……。持参した材料が功を奏して皆さんが想い出話に花を咲かせてくださり心の中でガッツポーズを取った回もあれば、「そんなモンあんまりしませんでしたわ」と今ひとつ不発に終わった残念な回もありましたが、全体としては、当初は不安げだった患者さんが想い出話に興じるなかで次第に穏やかになっていかれる姿が印象的でした。
立ち上げから数年経った頃に担当は私から後輩スタッフにバトンタッチしましたが、その後もかれこれ10年以上にわたって継続しているところをみると、認知症治療病棟の一行事として定着しているようで嬉しく思っています。
認知症の患者さんでなくとも、またグループ回想療法でなくとも、カウンセリングの中で個人回想法的な関わりをさせていただくこともあります。ある程度お年を召したクライアントさんが、自分の存在している意味やこれからの生きかたについてお考えになるとき、これまでの半生を振り返りながら現在にいたる軌跡を整理していただくことはもちろん重要な作業ですし、目を細めながら昔の懐かし話に興じてくださるひと時も大切な過程であると感じています。
こういった方々に比べるとまだまだ弱輩者の私は、戦後や高度成長期の話などは経験していないので想像するしかないのですが、それでも祖父母や両親から耳にしたことを思い出しながら、そういう時代を苦労とともに生きてこられたのだなあと感慨を抱きながら聞かせていただいています。
かくいう私自身も、歳とともに記憶力の低下を感じ始めたりしています。とくに人の名前が一度お会いしただけではなかなか憶えられず、別の機会にお会いしたときなどは相手の名前を言わずに済ませながらも失礼のないよう、非常に苦心することが多くなってきました(笑)。 それだけに昔から知っている事柄が一層懐かしく感じられるのかもしれません。
そして大切なのは、昔から知っている事柄を誰かと共有できることだとも感じます。冒頭で述べた「ウルトラセブン50周年展」にしても、同年代の知人とともに足を運んだからこそ、「あー、こんな怪獣いたよねえ~」「偽物のウルトラセブンも懐かしいなァ~」などとささやかに盛り上がって、精神面の元気と安定という、まるでお薬のような効果をひときわ実感できたわけですから。
歳を重ねるにつれて過去の記憶に執着するようになるのは、進化的には「過去の学習体験を少しでも活かして、衰えつつある自分の生存可能性を高めようとする悪あがき」なのかもしれません。ウルトラセブンの想い出にいくら浸ったところで生存可能性が高まるわけではありませんが、大昔の原始時代などにおいては、過去の学習体験を想起・活用することが適応的だったのでしょう。
現代社会においては外界の安全や食糧は担保されている一方で、長寿化・高齢化が急速に進んだ結果として、生きる意味の模索や将来への健康不安といった新たな精神的暗雲が現れやすく、それだけに自分を支える「よすが」が今まで以上に必要とされているように感じます。そのひとつが昔の想い出であり、それを共有できる相手の存在なのでしょう。
とりとめもなく書き連ねてしまいましたが、私のどうでもいい想い出話につきあってくれる同年代の知人や、学生時代からの友人に改めて感謝しつつ筆をおきたいと思います。私の吹けば飛ぶような自我同一性が保たれているのは、彼らのおかげと言っても過言ではありません。
以前読んだ本に、こんな言葉がありました(例によってうろ覚えですが)。
「私は鳥、後ろを向いて飛んでいるの。なぜって、これからどこに行くかよりも、今までどこにいたかが知りたいから」
なんだかよく分かるなァと思って印象に残っている一節です。一般には前を向いて進み続けることが善しとされる世の中ですが、ときには後ろを向いて今までを振り返るのもいいのではないでしょうか?
文責:臨床心理士・名倉