おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2012年1月 3日 (火)
月刊きょうと/「『キークス』という名の特異集団について」(2012年1月)
今回は利用者の瞳さん(男性)に、学生時代のサークル活動について回顧していただきました。
メンバープログラム担当も無事に終わり、私のBUC生活も後半だなあと考えていると、なぜか、今のBUC生活が大学時代のサークル生活によく似ているなあと感じるようになりました。
そこで、今回は私の昔話についてお話します。
時は1980年代前半、所は京都市の衣笠山の麓の某大学です。
当時18歳のH少年は、桜咲く4月、夢に見た大学生活をどうやってエンジョイしようかと画策中でした。
「大学といえばまずサークルだ」
何のサークルに入ろうか、迷っていました。その頃の流行といえば、まずテニス、かわいい女の子と出逢い、花のようなキャンパスライフをおくれるに違いない(普通の人は絶対そうします)。
ところが、血迷った私が入ったのは(陥った罠ともいいます。)バンド活動を中心とした「キークス」という音楽サークルでした。
高校時代から、ギターを弾くのが、それなりに好きだったし、当時、あの大滝詠一氏の『A LONG VACACION』というアルバムに(最近、軽自動車のCMに流れています)、どっぷりつかって、大学では絶対バンドをやるんだと決めていたからです。
その大きな選択誤りが、私の大学生活、その後の人生を大きく狂わせるものとなりました。
その音楽サークル「キークス」というのが、曲者で、表向けは音楽サークルの看板を出しているのですが、実態はまさに「魁男塾」の世界でした。
サークルのモットーは「男尊女卑、根性と空元気」、4回生=神様~1回生=ゴミ以下という、厳しいカースト制度が確立しており、先輩の命令・指示は盲目的服従という厳しい掟がありました。ほとんど体育会系というご理解で結構です。
厳しいカースト制度の礎は、いわゆるバンド、楽器の技術力の差です。私が1回生の時の3回生など、プロと錯覚するほど、上手く、こちらから話しかけるのが、怖いぐらいの雲のうえの存在でした。
私は当初3人でバンドを組み、ベースを担当していました。3回生が練習を見に来るだけで、本当に震えました。先輩からは叱咤激励の毎日。
「H!そんなんやったら、来年の下級生に抜かれるぞ!下に抜かれたら切腹じゃ!」
そんなわけで、とにかく必死で練習しました。帰りは毎日最終電車でした。
そんな特異集団だったので、年10回あるコンパもハンパじゃないです。先輩の注いだ酒は絶対一気飲みという、ルールがあり、コンパ後半の時間帯は、こっちでマニアックな音楽談義、こっちで女人禁制の話、こっちでなぜか正座して泣いている輩、あっちで取っ組み合いのケンカ等、内容盛りだくさんで、ある意味、退屈しませんでした。
でも楽しいこともありました。女子大サークルのコンサートにゲストでよばれたり。そんなこんなで時間の経つのは早く、3回生の冬の現役最後のコンサートは、男泣きしました。感動して泣いたのは人生最初でした。
4回生になると立場は神様ですが、現役を引退し、下の回生の必死の姿を見ていると、淋しい気持ちもありました。もちろん儚い恋もありました。しかし、不器用な私に恋と「キークス」の両立はとても無理でした。
私の大学生活は「キークス」で始まり、「キークス」に全てを捧げ、「キークス」で終わり、何も残りませんでした。しかし、「おっさん」になった今でも、都会の駅前で若いストリートミュージシャンを見ると、つい立ち止まり、聞き入ってしまい、説教したくなります。「もっと練習せい!根性と空元気でがんばらんかい!」と。