私は、今回は2回目の休職です。仕事は大好きで、やりがいを大変感じれる部分も多かったのですが、プライベートなことで病んでしまい、休むことになりました。ですが、8カ月もの長い時間をほぼ何もしないで過ごしてしまい、病院にBUCを勧めてもらい、渋々通所し始めました。最初は「自分は仕事で病気になったわけじゃないし、BUCに来たからと言って何も変わらない、仕事の能力も落ちていないし」と思っていました。でも、通所していくうちに、血液検査でひっかかっていた項目もどんどん改善され、またストレスが起こった時の対処法や、コミュニケーションにおける自分の癖にも気づくことができました。これは仕事を続けていく上で大変有益なものだと思いました。そして何より嬉しかったのは、グループでの活動で自分の役割を見つけ、メンバーの皆さんの支えになることを率先して果たす中で、ありがとうと言ってもらえました。通所間もないメンバーさんや気分体調のすぐれないメンバーさんにすぐに声をかけることができる自分にも気づき、これは私の仕事でも活きる長所だと実感しました。このように、日々、前に進んでいる実感を味わえることができています。今、休職をしていて復職を目指しているけど、何をすればよいかわからないという方は、なるべく早くBUCへの通所をおすすめします。精神疾患は自分との闘いだと思っていましたし、実際そういった部分はあるかと思いますが、共に闘う仲間がここにはいます。一緒に頑張りましょう。
ペンネームY.Y
このブログが掲載されている頃は、そろそろ新茶が美味しい季節が近づいてきたと共に世間はGWに突入する合図を待っている頃だと思います。
そんな時季に、何か思うことを書こうと考えましたが、出てきません。じゃあ、今回のブログに穴を開けて、みなさんごめんなさいと思った矢先、前述の「新茶」が頭の中に降りてきました。
この時季は、新茶もだけど世間は「抹茶」スイーツなどが溢れるじゃない!じゃあ、このテーマにしようと、勇んで調べてみると自分の知識の浅はかさに愕然としました。
実は、抹茶の旬は、10〜11月頃だそうです。みなさん、知ってました?私は知らなかったので、正直、驚きました。でも、なんで?とはなりません。なぜなら、実家の城陽市は茶祭りを10月20日ごろに行なっていたなぁ、と思い出させてくれました。
では、なぜ世間でこの4月ごろから抹茶フレーバーのお菓子などが出回るようになっているのかを紐解くと興味深い事がわかります。それは、「八十八夜」がキーになるのです。八十八夜は、皆さんご承知の通り、立春から88日数えたら5月2日前後になる時季です。どうやらこの新茶のイメージが強く残っているため、抹茶商品が出回り、我々の意識として抹茶の旬は、5月かなぁと残ってしまったようです。
実際は、この収穫のあと、茶葉を蒸し、乾燥を経て5ヶ月ほど熟成させて美味しくさせるようです。熟成が完了する10月ごろが美味しくなるので、その時季に宇治の方へ伺うのが一番美味しい抹茶を堪能できるかもしれませんね。
併せて宇治茶についても、世間一般の認識とズレがあることはご存知でしょうか?みなさん、宇治茶は、京都府宇治市で取れたものを宇治茶と認識されていることでしょうが、実際は違います。「宇治茶の定義は、歴史・文化・地理・気象等総合的な見地に鑑み、宇治茶として、ともに発展してきた当該産地である京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で、京都府内業者が府内で仕上加工したものである。ただし、京都府産を優先するものとする。(引用HP:公益社団法人 京都府茶業会議所)」これを読んで愕然とされた方もいるでしょう。そうなんです、宇治茶は京都府南部の地域に近いところから茶葉を集めた総称です。この件で、実は、産地表記の際に、お茶の産地静岡が宇治茶について、問題提起して一時論争になった経緯があり、京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶と記載するようになったのです。産地には順位分けがあるようで、最優先は京都府南部 宇治市・京田辺市・城陽市・木津川市・久世郡・相楽郡・綴喜郡、次に、宇治茶本来の性質を備えているという意味で京都府綾部市・福知山市・舞鶴市、良品が見あたらなかった場合、次の生産地を補完的に用いる滋賀県甲賀市(信楽町・水口町・土山町)・三重県伊賀市(三重県でも伊勢茶は含まず)・奈良県奈良市(柳生・宇陀市・山添村)だそうです。調べてみると面白くないですか?
最後に、私としては世間の流れで気になることがあれば、疑問を解決するために調べ、自分で納得することも大事なことかもしれません。思い込みで何気ない日々を過ごすより、何かを感じとる大事なことに繋がっているように思います。日々、何かを感じ取って暮らしてみるのも悪くないと思いませんか?
P.N 一日一万歩
今年は全国的にも暖かくなるのが早く、ここ京都も桜の開花が満開へと向かい、春の便りを届けてくれます。私たちの通うBUCの周りにも綺麗な桜の様子があちこちで見られるようになりました。
BUCでは毎年、「お花見」をしていたと聞いています。しかし、このコロナ禍の中で、大々的にお花見をすることができず、桜が満開を迎えるにも関わらず、桜の様子を楽しむことができていませんでした。
その代わりというわけではないのですが、3月に小規模に桜を楽しむ機会を持つことができました。それは、毎月やっている「デジカメウォーク」という各地にデジカメやスマホで写真を撮りにいくプログラムがあるのですが、そのデジカメウォークで桜が咲き誇る高瀬川に行くことができたのです。BUCから東へ歩いて10分ほどのところに高瀬川があるのですが、そこでは桜が川沿いに咲いており、ちょっとしたお花見気分を楽しむことができるようになっていました。10名ほどで密にならないように間をとりながら歩いていたのですが、川沿いにはソメイヨシノを代表として白やピンクや薄紅色の桜が咲いているだけでなく、モクレンや椿なども咲いており、さながら小さな植物園のようでした。
「桜が綺麗ですね~」
「そうですね~。桜だけじゃなく、この季節に椿が見られるとは思いませんでしたよ。」
「川には桜の花びらが流れていますね。」
「花びらが流れる様子も綺麗ですね。」
といったように、メンバー同士でお話ができるのも楽しいひとときでした。ぽかぽか陽気で心地よい日差しも浴びながら、晴れ渡る水色の空の下で桜を楽しむことができることは、デスクワークが続くBUCのプログラムの中での、ちょっとした休息時間になりました。
てくてく歩いていると、小さな公園を見つけました。滑り台やブランコがあるくらいでほんとにささやかな規模の公園でした。どこかに良い写真スポットはないかと探していた私にとって、この公園に出会えたことは、よいシャッターチャンスになりました。滑り台と桜を一緒に撮ったり、ブランコと桜を一緒に撮ったり、滑り台から滑る瞬間に見える桜を撮ったりして、他の人が撮らないような写真が撮れて、私は満足しました。
早くコロナが終息を迎えて、多くのメンバーとワイワイガヤガヤと綺麗な桜を見ながら「お花見」などのイベントができることを楽しみにしています。
PN:ドラムレッスン中
1年の中でどの時季が一番特別と感じるかと問われたら、私は間違いなく桜の時季だと答える。日本には四季折々、たくさんの花が咲く。早春に咲く梅の花や菜の花、新緑の季節に咲く藤の花、梅雨の時季には紫陽花などそれぞれ美しく趣があり、私も好きだ。しかし、桜の花は私にとってそれらの花とは違う意味合いを持っている気がする。
桜の花が咲く頃は、気温が温かくなってきて外出しやすくなる時季である。外に出るとふんわりと春の匂いがする。そうすると、何となく浮き浮きした気分になってくる。そんな気分の時に桜をみると、「あぁ、春がきたんだなぁ」という思いを一層掻き立ててくれる。それが私に特別感を抱かせるのだろう。
それだけではない。桜の花は美しく艶やかである。しかし、それにもまして儚い。花が咲いている期間はせいぜい2週間前後である。桜の花びらが風に舞い散る様はとても綺麗であるが、同時に物悲しくもある。このようにその時々の気持ちを桜の花は様々な面を見せながら代弁してくれる。私の気持ちに寄り添い、物語ってくれる。桜の時季は人との別れと出会いの時季でもある。この時季に特有の私の気持ちの揺れ動きに桜の花が寄り添ってくれる気がするのだ。
私にとって昨年の桜の開花時季は、約4ヵ月の休職期間を終え、復職する時期であった。復職最初の日の朝、通勤で乗るバスの中から公園に咲く桜の花をドキドキした、なんとも不安な気持ちで眺めていたのを今でも鮮明に覚えている。桜の花は私にとって感情の記憶装置でもある。しかし、その復職は長くは続かなかった。僅か1ヵ月半で再休職することになった。その後、昨年6月下旬からBUCに通い始め、9ヵ月が経とうとしている。今回のBUC通所では様々なことを学び、またこれまでにない気づきも得た。まだ、復職する自信までは無いけれど、“何とかなるか”という漠然とした感覚は持てるようになってきたと思う。
今年もまた、桜の花は咲く。今年の桜は私の目にどのように映るのだろうか?
ペンネーム:ソルトパワー