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【BUCきょうとメンバーブログ】第35回:「チョコっと学んだこと」

2018年3月 8日 (木)

先日、若松英輔さんの講義による「内村鑑三のことば-『後世への最大遺物』と『代表的日本人』を読む」を聴講してきました。そのチョコっと学んだことと私の気づきをご紹介することで、一人でも多くの方の心に響くものがあれば大変嬉しく思います。

 早速ですが、内村鑑三という人物に皆さんはどのような印象をお持ちでしょうか。明治の人、キリスト教徒でありながら無教会主義を唱えた人、不敬事件を起こし非戦論を唱えた人、といったところが教科書から学ぶ内村像ではないでしょうか。しかし、内村の思想を読み解くうえで、欠かすことのできない要素があります。それは、内村が自著において述べている2つのJ(第一にJesus(イエス)、第二にJapan(日本))という概念です。『代表的日本人』は英文及び独文で西洋人に向けて発表された著書で、内村にとっては第二のJ(日本)に対して義務を尽くす、それと同時に自らに託された事業を第一のJ(イエス)に捧げるという意味が込められたものでした。内村は、自身を「日本」という「台木」に「キリスト教」を「接ぎ木」させられた存在として捉えていました。『代表的日本人』とはその「台木」を述べたものであると自ら記しているのです。明治人でキリスト教徒というと、西洋思想の先駆者としてのみ認識されがちですが、内村は日本的霊性としてのキリスト教とともにあった人物なのです。私が抱く内村像は、時に激しく、時に滑稽なほど愛嬌があり、どこまでも弱きものに寄り添う気骨ある成熟した大人、です。内村の生きた明治は、急激な西洋化・近代化の波にさらされ、従来の価値観が大きく揺さぶられた激動の時代でした。翻って、現在はどうでしょうか。価値観が多様化し、モノや情報は豊かになりましたが、痛ましい事件は後を絶たず、私のようにこころの病を抱える人も増加傾向にあります。内村の思想は、長い年月をかけて読み継がれた古典であり、今こそ一読の価値ある人生論であり、幸福論であると言えます。

 少々前置きが長くなりましたが、私の経験を踏まえて、内村の思想に一歩踏み込んでみたいと思います。私は、一年足らずの闘病生活の末に母を亡くしました。彼女は、病床にあってなお、我がこと以上に同病の仲間や家族を気遣い、ケアする側の看護師の悩みや人生相談を親身になって聴き、見舞客を笑顔にして帰す、そんな女性でした。若松さんが「是非、あなたにとっての“代表的日本人”を自らの中に見出してください」とおっしゃったとき、真っ先に思い浮かんだのが母のことでした。私は、「高尚なる勇ましい生涯」の最期を幸いにも傍らで見届けることができたのです。人は遂には何をも所有することができない、というのが私の実感です。しかし、確かに「遺せるもの」があるということにもまた気づかされました。「天」の計らいを「信じ」、自己自身を「信じ」、「真面目なる生涯」を私もまた全うしたいと思っています。その道のりで、自らの内にある「根っこ堀り」をいたわり、慈しむことが今後の私にとって人生の課題であると認識しています。最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。これを機に、内村鑑三や若松英輔さんの著書を身近な存在として親しんで頂ければ、これ以上の喜びはありません。

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(ペンネーム:目指せ文武両道!)

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