おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2019年7月 1日 (月)
月刊きょうと/「ふるさとのアルバム」(2019年7月)
今回はメンバーの佐々木阿波守すけきよさん(男性)に、淡路島の素敵スポットについてご紹介いただきました。
◎私が久々に、実家に帰ると電話をすると母が言いました。
「もう、実家はあらへんで!除却したわ! あんたのふるさとはもうないわ!」
◎私のふるさとは淡路島です。日本書紀にも出てくる歴史ある島で、別名「おのころ島」と呼ばれています。これは、「日本国土創生のため神に遣わされた、イザナギノミコトとイザナミノミコト夫婦が、大地がまだどろどろであった塩の世界を固めるために、アメノヌノ矛で、かきまわした。するとその矛の先から滴りおちた滴の一滴が島となったという。この島がおのころ島(淡路島)となり、そこで夫婦の契りを結び、国生みの儀式をとりおこなった。」という伝説によるものです。風光明媚なうえに、長い歴史があるなんて、私はとても由緒あるとことに生まれたのですね。
◎しかし、私は雑誌や本で見る都会の雑踏やファッション、世界の風景や文化に思いを寄せては、淡路島での生活がなんとも疎ましくてなりませんでした。ですから、淡路島を出て働くことを決意したのです。一方で「遠くにあり想う」という安心感をも背負いまして。都会へ出て来た人間にとって、たとえ逃げ出したふるさとでも、やはり心のよりどころなのですね。しかし、その気持ちは、ある日突然吹き飛びました。阪神淡路大震災が起こったのです。
◎報道はあまりされませんが、私の生まれ育った地域は、死者はほとんどなかったものの、戦前からの古い木造家屋が多いため、甚大な被害を被り、建物は倒壊し、元の街の姿はすっかりなくなってしまいました。ちょうど震災1年後に帰郷しましたが、その変わり果てた姿にふるさとがしばらく遠くに感じられました。そして24年が過ぎた今年、残っていた実家そのものを失いました。しばらくは、大きな喪失感を感じる毎日でした。
◎ところで「ふるさと」を感じるというあの感覚はいったい何なのでしょう? 生まれ育ったところのことだけを言うのでしょうか?よく、旅行に行き、初めて出会う風景に、妙な懐かしさを感じる事がありますよね? たとえそれが、深い雪に閉ざされたような、過酷な環境の中でも、たくましく生きている人々の姿に、妙な懐かしさを覚え、そのなかに、自分の故郷を感じとるという事もすくなくありません。そこには「自分の生まれ育った場所」という要素以外に、なにか「ふるさと」と呼びうるものを形づくる普遍的な要素(=「縁」のようなもの)があるという気がしてなりません。
◎ジャジャーン! というわけで、縁は異なもの味なもの。味のないのも欲しい僕。今日は、ルーシーちゃんはダイヤモンドを抱えてお空に浮かんでごきげんだぜ!ねえあなた。タピオカミルクもお願いね。ところでだ。キミ! エリアスムージー君の公表はどうなっているのかね?それはまったく「ω★§ΔΘ$#%」なわけですから、いまはお控えあそばした方がよいのじゃないですか?ほんまにわれはそゆとこヘンダラダッスイのぉ。ゴワわくじょ……。
◎というわけで、ど、どこにいたって、キミ自体が僕のふるさとになり得るのさ。
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付録 勝手に淡路島の観光協会
(1)沼島(南あわじ市) 淡路島からさらに船で15分 神の宿る奇跡の島
(2)東山寺(淡路市) 秘境。精霊の宿る森。奇跡の仏像が秘かにおわす
(3)ありい亭(淡路市) 地元民がこよなく愛する奇跡なお肉屋さんの焼き肉店
(4)あさじ(淡路市) 地元民がこよなく愛する「炭火焼きアナゴ」の奇跡の名店
(5)立川水仙郷(南あわじ市) 地元民は愛さない超B級奇跡の秘宝館パラダイス