おうばく通信
おうばく心理室コラム
2018年2月 5日 (月)
【おうばく心理室コラム/2018年2月】「なぜ果物ばかり食べてはいけないのか」
心身の調子を維持するためには、食事も大切だと痛感している昨今。先日読んだ『食と健康の一億年史』(スティーブン=レ・ 著、大沢章子・訳、亜紀書房・刊)という本が興味深かったので、一部紹介してみたいと思います。
地球上に私たち人類が誕生してから現在にいたるまで、どのようなものを食べてきたのか? それによって健康にどのような影響があったのか? という流れを進化論的な視点から振り返りながら、これから私たちは何を食べていくべきなのかについて考察される良著です。
興味深いトピックスがいくつもあり、全てをここに書くことはかなわないのですが、とりわけ「なるほど!」と膝を打ったのが、私たちはなぜ果物ばかり食べてはいけないのか? についての説明でした。
菜食主義者の中には、果物しか食べないという流派の人たちがいます。「野菜を食べることは命を奪うことになるが、果物は自ら動物に食べられることを望んでいるから食べてもよい」というのがその論理です。
個人的にはこういった極端な考えかたは懐疑的に思っていますし、そもそも現代社会では他の命を奪わずに暮らすのは困難だと考えています。スーパーで売られている果物ひとつとっても、果樹園を切り開くときにそれ以外の植物は伐採されたでしょうし、栽培のとき使われた農薬によって死んだ昆虫もいるでしょうし、流通段階でトラックの排気ガスによって枯れた草花もあるでしょう。
さらには、日ごろから使っている市販薬だって開発されるまでに多くの実験動物が犠牲になっているはずですし、私たちが住んでいる家だって前住民である雑草や昆虫を追いやって建てたものでしょう。
このような側面に目を向けることなく、「果物しか食べていない私には罪はない」という自己満足に浸るのは、(それも個人の自由とはいえ)人間のエゴを感じてしまうのですが、本題からそれるので閑話休題として。
どのような文化圏においても果物は主食ではなく、デザート的な食物として扱われていることには理由や意味があり、それは進化論的な立場から考えると、果実を提供する植物側の事情によるものである著者は言います。
植物たちがどうして果実を提供するかといえば、決して動物のための慈善事業ではなく、自分たちの種を遠くまで広げて繁栄するためです。果実を食べた動物が遠くに移動して、その先で糞をすることによって、新たな地で種が発芽できるのです。
植物側としては果実を食べた動物たちが遠くに移動してくれることが非常に重要なのですが、もしも果実の中に、動物が生きるのに必要な栄養が全て含まれていたらどうなるか? 動物たちはこれ幸いとばかりに果樹の下に居座ってそこから動こうとせず、果実ばかり食べて一生を暮らすことになるでしょう。しかし植物側としては、これでは困るのです。果実を食べ終えた動物には、他の獲物をもとめて遠方に出かけてもらう必要があるのです。
そこで植物たちは自らの果実に巧妙なカラクリを導入しました。その風味は甘酸っぱくて美味しいけれど動物たちに必要な栄養すべては与えず、たんぱく質や脂質、各種微量栄養素などは他の獲物から摂らせるように仕向けたのです(植物がこのような意志を持っているわけではありませんが、自然淘汰の中このような特徴を持つ果樹のみが絶滅せず生き残ったということになります)。
こう考えると、果実しか食べない食生活に大きな危険があるのは自明ですし、さらには糖質(炭水化物を含む)に偏重した食生活が健康に悪いことも改めて納得できます。著書の中では、果実食に偏重する人々の健康被害が実例として紹介されるとともに、アップル社のCEOだったスティーブ・ジョブズ氏が若くしてすい臓がんで他界された件についても、氏の果実食が影響していた可能性が言及されています。
したがって、「完璧なスーパーフード」などと賞賛されてもてはやされている一部の食品群(チアシードなど?)も、おそらく完璧ではないはずです。それさえ食べていれば健康に暮らせるなら、その植物は動物たちから一方的に搾取され食べ尽くされて、あっという間に絶滅しているでしょうから。
私たちが心身の健康を維持するためには、やはり動植物を含めて他の命をいただく必要がありそうです(それだけに感謝の気持ちと食物を大切にする気持ちを忘れないようにしたいものです)。野菜はもちろん肉や魚など幅広く食べることが大切で、ときにはデザートの果物も含めて、食物多様性を意識していただくのが良いように思います。
ちなみに著書の中では、低コストでありながら良質な栄養が得られる「昆虫食」が勧められています。理屈のうえではその通りだろうなと納得できるのですが、実践するのはチョットためらわれます……(笑)。
でもそういえば、以前ベトナムで食べた、シルクワームの幼虫を炒った料理はピーナッツクリームのような風味と食感で美味しかったのをふと思い出しました。
文責:臨床心理士・名倉