おうばく通信
おうばく心理室コラム
2017年9月 5日 (火)
【おうばく心理室コラム/2017年9月】「病気になる、ならない」を決めるのはなに??
身体疾患も精神疾患も、なる人とならない人がいます。では、両者の違いはいったい何なのでしょうか?
ここでしばしば議論になるのが、「病気になるのは遺伝や偶然など、本人にはどうしようもない外的要因(偶然的要因)によるものだ」という考え方と、「病気になるのは努力不足や甘えなど、本人の内的要因(人為的要因)のせいだ」という考え方の対立です。
もちろんどちらが正しいという話ではなく、それは疾患の種類によって大きく異なります。
たとえばダウン症は、先天的な染色体異常の有無という外的要因(偶然的要因)に依拠しています。したがって、病気になるかならないかは「本人にはどうしようもない」のですが、高齢出産では子どもの染色体異常の発生率が上昇するので、高齢出産を選んだ親の要因まで含めると、完全に偶然的要因だけとは言い切れない部分もわずかにあります。
一方でアルコール依存症などは、目先の快楽におぼれ続けた結果という内的要因(人為的要因)に多くを依拠しています。したがって、病気になるかならないかは「本人のせい」の部分が大きいことになりますが、全てが本人のせいかというとそうとは言い切れず、お酒を飲める体質に生まれついたことや親が大酒飲みであったことなど、本人にはどうしようない外的要因(偶然的要因)が絡んでいるケースもあります。
ダウン症とアルコール依存症という、やや両極端の例を出しましたが、多くの疾患は内的要因と外的要因の掛け合わせによって発生すると考えられます。痛風や糖尿病など生活習慣病と呼ばれる疾患は、飽食や運動不足といった人為的要因の問題とされがちですが、実際には同じような飽食や運動不足を続けていても発症しない人たちもいるわけで、生まれ持った体質という偶然的要因も大きく影響しています。
痛風になりやすい体質の人はわずかな食べ過ぎでも痛風になってしまう一方、痛風になりにくい体質の人は暴飲暴食を繰り返しても全くならない。「生活習慣病」という呼称には、その原因をすべて本人に帰するようなニュアンスがありますが、実際には生まれながらの運不運も大きく、本人の怠慢だけを責めるのはいささか酷な話だと思われます。
では、精神疾患の場合はどうなのか? これも疾患によって大きく異なりますし、内的要因と外的要因の掛け合わせである点は多くの身体疾患と同じだと思うのですが、こと精神疾患については、一般世間からの評価がそのいずれかに偏り過ぎている印象を抱いています。
「統合失調症や発達障害は先天的な脳の問題だからどうしようもない」
(→実際には、確かに先天的要因も大きいとされていますが、後天的なストレスや心理的傷つき体験が発症やその後の人格形成に大きく影響すると言われています)
「うつ病や神経症は本人の気概の問題だから治らないのは本人のせい」
(→実際には、確かに後天的に獲得された対処パターンの影響も大きい一方、先天的な遺伝要因の影響もあり得ますし、周囲の環境要因も大きく寄与しています)
実際に筆者も職業柄、精神疾患について一般の人から訊かれることがしばしばあります。「それって脳みその問題なの? それとも本人も問題なの?」と。先天か後天か? 身体か精神か? 二元論的な答えを求められているわけです。ここで筆者は、そんな風に単純に二元化できる問題ではなく、多くのケースは両者の相互作用であること、それ以外に環境要因なども大きく影響することを説明するのですが、歯切れ悪く思われるのか相手からのウケは大概あまりよくありません。しかし、単純化した二元論は危険だと思っているので、ここは譲れないところでもあります。
「病気になるかならないかは、空から降ってくる槍に当たるか、当たらないかの問題だ」というアナロジーがあります。どれだけの槍が降ってくるかは、生まれ持った体質など先天的要因によっても異なりますし、住んでいる地域や生活習慣など後天的要因によっても異なってきますし、年齢によっても異なってきます(高齢になると降り注ぐ槍の数は多くなり、どんな人も最期は何らかの槍に当たって他界します)。
こう考えると、降ってくる槍の数を減らしていくことが大切です。生まれつき決まっている槍の数(遺伝的要因)は受け入れるしかありませんが、自分で減らせる槍の数もあります。排気ガスの少ない地域に住むことや、禁煙すること、適度に運動すること、規則正しい生活を送ること、孤立を避けることなどは、降ってくる槍の数を減らすのに有効でしょう。一方で、降ってくる槍におびえて屋内に引っ込んでばかりの生活も味気ないものですし、ときには「少しくらいきっと大丈夫!」と羽をのばすことがあってもいいでしょう。また、もし槍に当たったとしても、当たり所が良くかすり傷であれば治療で治るのですから。
こういうアナロジー(喩え)で単純化すると、疾患の本質についてある程度理解してもらえやすいように思うのですが、どうでしょうか? かくいう私自身、体系的に医学を学んだわけでなく、疾病の本質に関して深く理解しているわけでもないのですが、常々感じていることを書き連ねてみました。
そして、疾患が全て「悪い」ことではない点も最後に挙げておきたいと思います。
私たちは「不快」な状態を「病気」と捉える傾向がありますが、身体に合わないものを食べて吐き気を催すのは自分を守るための大切な防御反応であって、吐き気は「不快」ではあっても「悪い」ことではありません。嫌いな人と話していて吐き気がするというのも、この相手とは関わるな! という警告サインかもしれません。
また、運悪く本当の病気になった場合であっても、病を得たことを通じて人間的に成長できる部分も大きいかもしれません。
そんなわけで、降ってくる全ての槍を防ぐことはできませんが、ある程度のリスクは覚悟して受け入れながら、意識や努力で減らせる槍は減らしていく。こんな風に考えていけるように、私自身もなっていきたいと思う昨今です。
文責:臨床心理士・名倉