おうばく通信
おうばく心理室コラム
2017年4月 5日 (水)
【おうばく心理室コラム/2017年4月】研究と臨床の微妙なカンケイ
大学~大学院時代あわせて6年間お世話になった心理学の恩師が先日他界されました。先生への感謝の気持ちを込めつつ、ひとつの節目として、当時の研究生活と現在の臨床業務のつながりについて振り返ってみたいと思います。
大学院に5年間も在籍していたことを話すと、「そんなに長いあいだ何をしていたんですか?」と訊かれることがあります。年月に見合う業績はちっとも残していないので内心忸怩たる思いなのですが、結果的に遠回りにはなったものの当時の5年間は自分にとって必要だったと改めて感じます。
院への進学を決めたのは正直なところ、学問をきわめたいという純粋な気持ちだけではありませんでした。大学を卒業してそのまま社会に出る自信も勇気もなく、将来への迷いも大きかった身にとって、院への進学はとりあえず状況を先延ばしにできる体のいいエクスキューズでしたし、その中でさまざまな仕事や活動に取り組む中で自分の進む道を決めていけたらいいなァ……くらいのイイカゲンな気持ちだったことをここに白状します。
研究については、もともと疾患と性格の関連性に関心を抱いていたので、ざっくり言うと「うつ病になりやすい性格傾向」をテーマとして進めることにしました。ただ、うつ病の病前性格としては、メランコリー親和型(周囲への気配りや秩序を重んじる几帳面な性格)や執着気質(凝り性で徹底的に熱中しやすい性格)がすでに広く知られていましたので、これら以外の新しいトピックスを探し当てる必要がありました。学問の世界で評価されるには、まだ発見されていない新たな事象を示す必要があるのです。
そこで欧米の心理学論文を乏しい英語力で読み拾う日々が続きました。心理学研究において日本は欧米の10年遅れを歩んでいると言われていて、最新の知見を得るには欧米の研究に接する必要があったのです。そして出会ったのが、「”Rumination”(反芻思考)の傾向が強い人はうつ病になりやすい」というレポートでした。
……と横文字で書くとなんだかモットモらしいですが、何のことはない、要は「悪いことについて考え込みがちな人は憂鬱になりやすい」ということです。そんなもん論文で述べられんでも分かってるわ!! と言われそうですが、一見当たり前のことをエビデンスとして統計的に示すことも学問の役割なのです。
そんなわけで欧米での先行研究を日本で追試しながら自分の集めたデータを分析してみたところ、おおよそ次のような結果が出ました。
「我が国においても欧米と同じく、悪いことについて考え込みがちな人は憂鬱になりやすいことが明らかとなった」
「ただし、悪いことについて考えるという行為は次の2種類に大別される」
「ひとつは、こんな自分はなんてダメな人間なんだ……という風な漠然とした堂々巡りで、こういうクヨクヨ思考は憂鬱を非常に悪化させやすい」
「もうひとつは、今回の失敗はどこでどう発生して今後どうすれば防げるだろう……という風な論理的分析で、こういう解決的思考は憂鬱を悪化させることはない」
どれもこれも当たり前のことすぎて我ながら頭がクラクラしてきますが、ひとまず先行研究+αの知見が得られたので論文にまとめて投稿し、なんとか審査を通って掲載に至りました。「考え込むことが一概に悪いわけでなくて、たしかにクヨクヨ考えるのは良くないけれど、解決的に考えるのは悪くないよ」というエビデンスのパイオニアが何を隠そう、この私なのです!!(←この程度の狭~いパイオニアを持っている大学院生など掃いて捨てるほどいるので何の自慢にもならないんですが、自嘲気味に書いてみました。笑)
正直なところ当時は、「学生相手にアンケートして、こんな当たり前のことばかり論文にして、いったい何の意義があるんだ!?」という疑問を抱き続けていました。その後、研究の道を捨てて臨床の道を選んだのは、このような疑問が蓄積した結果でもあります。もちろん研究能力の乏しさもありましたが、恩師にとって本当に不肖の弟子だったと反省しきりです。
そして臨床の現場で働くなかで、実際に患者さんと接して微力ながらお役に立てたときは大きな充実感がありますし、臨床の道に進んでよかったと今でも日々感じています。研究に対する未練も、お世話になった恩師には申し訳ないくらいにありません。
ただ、それと同時に最近では、「研究」と「臨床」は二者択一ではなくクルマの両輪のようなものだという、至極当然のことを痛感するようにもなってきました。
というのも、認知療法にしても行動活性化療法にしても対人関係療法にしても、私がカウンセリングで用いている技法の大半は何らかのエビデンスに基づいているからです。つまり私たち臨床家は、先人たちが研究を重ねて明らかにしてきた治療法を借用して現場で使っているわけです。言い換えれば、研究によるエビデンスが存在するからこそ、私たちは自信と確信を持ってそれらを患者さんに応用できていることになります。
もちろん、研究によるエビデンスなど存在しなくても、世間一般で有用と考えられているアドバイスが有効な場合も多々あるでしょう。ただ、精神科や心療内科、カウンセリングに来られる方々は、そういった周りからの世間一般的なアドバイスや精神論では改善しなかった結果として専門機関を訪ねられるケースがほとんどです。だからこそ私たち専門家は、「治療エビデンスは存在しないけれども世間一般で有用と考えられているアドバイスや精神論」ではなく、「治療エビデンスが存在して実体験でも有効性を感じている手法」を用いる必要があるのです。
大学院生の頃はあまり意義を感じられなかった自分の研究も、今になって思うと一定の役割を果たしているような気もしてきます。拙コラム「失敗したときに『なぜ?』と考えるのは避けましょう」で述べた内容は最近の海外での研究報告に基づいていますが、「失敗に対して漠然と『なぜ?』と考えると、その原因を自分の無能さといった極端な内的要因に帰してしまいやすいので、原因探しの焦点を手順や行動など具体的プロセスに意識して向けることで、今後の再発防止策など生産的な方向へと思考が進みやすくなる」というメカニズムなどは、かつて自分が行ったデータ分析の結果とほぼ合致する内容ですし、自分が大学院時代に出した論文がこういった研究分野で今もなお引用されていたり、それを礎としてさらなる知見が展開されていたりするのを見かけると、自分の拙い研究にも多少の貢献があったのかもしれないと感じられて嬉しいものだったりします。
そして理想としては、私たち臨床家も現場でエビデンスを検証し、それを研究の形で還元してエビデンスをさらに洗練させていくという良循環が大切です。私のような非才には臨床と研究の両立がなかなか難しいのですが、研究の恩恵を受けながら日々臨床の現場に臨んでいることは忘れないようにしたいものです。
余談になるかもしれませんが、人類という種は地球上で科学(サイエンス)の適用がもっとも難しい生命体だと言われます。私たち人間は心身ともに仕組みが複雑なうえ個体差も大きいので、同じ薬物を与えられてもand/or同じ治療法を施されても、個々人によって効きかたのバラツキが非常に大きく、動物実験のような均一の結果が得られないのです。こういった個人差を遺伝子レベルで解析しようとする研究が近年盛んなようですが、完全な解明はまだ先の長い話でありましょう。
それだけに、ある治療法にエビデンスが出ていてもそれだけに固執せず、個々の患者さんに合った治療法をオーダーメイドのように組んでいく柔軟性も同時に必要です。研究結果を軽んじることなく盲信することなく、臨機応変な対応を心がけていきたいと改めて思う昨今です。
文責:臨床心理士・名倉