おうばく通信
おうばく心理室コラム
2016年9月 5日 (月)
【おうばく心理室コラム/2016年9月】心の健康を保つために大切なこと~運動編
心の状態は心理面だけで決まるわけではなく、その前提として「食事」「運動」「睡眠」の影響も非常に大きいという話を前回のコラムに書きました。今回は「運動」とメンタルの関係について紹介したいと思います。
運動習慣とメンタルの関連性については、信頼できるデータが一貫して着実に積み重ねられつつあります(詳しくはジョン・J・レイティ著『脳を鍛えるには運動しかない!』野中香方子・訳 NHK出版 などをご参照ください)。
たとえば、うつ病の改善と密接に関係する脳内分泌物質のひとつであるセロトニンは、肉や魚に多く含まれるトリプトファンが原材料となりますが、運動することで、トリプトファンからセロトニンを遊離させて体内で使えるようになる割合が大きく向上します。
運動することで、セロトニン以外にも抗うつ薬でターゲットとなっているさまざまな神経伝達物質が適切な方向に調整されます。ノルアドレナリンの増加によって脳が目覚めて働きはじめ、ドーパミンの放出によってやる気や注意集中力、幸福感が高まります。エンドルフィンの放出によって満足感が高まり、心の痛みが軽減して前向きな気分になります。
信頼できる多くの学術研究を総合すると、運動には抗うつ薬に匹敵するだけのうつ・ストレスの軽減効果があることが実証されてきているのです。ただし、だからと言って抗うつ薬が不要というわけでは決してなく、薬物療法と運動の併用が最も有効なケースもありますし、状態によっては身体を動かさず安静を保つべき場合もあります。それでも適度な運動には副作用がないことは、大きな恩恵だと言えるでしょう。
運動することにメンタル面へのこれほど大きな効果があるのはなぜなのか? これは推論になりますが、上記のジョンJ・レイティによれば、もともと狩猟採集のなかで進化・順応してきた私たち人類は、日々いつも歩いて走って食糧を獲得する生活において脳も身体も最適化するようチューニングされているため、運動量が少ない生活を送っていると脳も身体も錆びつき停滞してしまうのだろうとのことです。
このような指摘に対して、しばしば聞かれる反論として次のようなものがあります。「では我々は原始時代の生活のほうが良かったというのか? 現在こうやって文明社会の中で生活しているからこそ、安全かつ快適に過ごせる恩恵を受けているわけだし、実際に平均寿命だって向上しているではないか? 原始時代よりも現代社会のほうが優れているのは明らかだろう」と。
しかしこの種の反論は、「原始時代の生活に戻るか、それとも今の生活を続けるか」という二者択一、オール・オア・ナッシングの思考に陥っています。当然ながら、原始時代のようなライフスタイルには外敵や感染症など種々の危険が伴いますし、命を落とす可能性も高くなるでしょう。しかし一方で、現代社会では平均寿命こそ伸びているものの、糖尿病や痛風といった生活習慣病に苦しみながら暮らす人々や、寝たきりのまま死を待つ人々が急増しています。これが私たちにとって本当に幸せなことでしょうか?
したがって現実的には、現代社会のなかで暮らしながらも、原始時代の生活の「実践できそうな良い部分」を取り入れていくことが、私たちの心身の健康にとって重要なのです(これは前回のコラムで紹介した、健康的な食生活についても同様です)。
では、どのような運動をどれだけすればいいのか? これについては、理想は一日10kmのジョギングとなどされていますが……これはほとんどの人にとって無理だと思いますし、運動習慣の無い人がいきなりこんなことをしたら身体を傷めてしまう可能性もあるので、少しずつであっても無理なく行える自分に合った内容とペースで始めるのがいいようです。軽い運動であってもやらないよりはやるほうがずっといいとのこと。たとえば日々30分のウォーキングを行うだけでも一定の効果はあるようです。
その際、「楽しく続けられること」がとても大切です。運動は一定期間だけがんばるものではなく、末永く続けることにこそ意義があります。楽しさを感じられるほうがその後も続けやすいですし、楽しみながら運動したほうが脳内分泌の改善効果も大きいことが示されています。
また、日常生活でのちょっとした活動を意識することも効果的です。たとえばエレベーターに乗らず階段を使う、バスを使わず駅まで歩く等々を意識することで、週に1~2回スポーツジムに通うのと同等の運動量アップにつながるという報告もあります。
筆者の場合、普段は自宅から駅までバスに乗らずに歩き(合計30分程度)、職場ではエレベータに乗らず階段を使うよう心がけており、あとは仕事から帰宅してから週に数回20分程度ジョギングする程度です。
休日は朝方3時間くらいサイクリングに出るのを習慣としていて、その際、田舎の野菜直売所に立ち寄って、新鮮でおいしい野菜を買って帰るのをささやかな楽しみとしています。自転車も好きなのですが料理を作るのも好きなので、良い食材を買うこともモチベーションにしながらサイクリングの習慣を続けているというわけです。
こうやって運動を続けることで、身体面だけでなくメンタル面の調子もずいぶん良くなりましたし、体力のみならず精神面の持久力や自己コントロール力も少しついてきた気がします(勘違いかもしれませんが。笑)。
どのような運動が向いているか、どのような運動が楽しく感じられるかは、人それぞれ違うと思います。筆者などは極度の運動音痴なので、子どもの頃はスポーツ全般が大嫌いでした。しかし運動習慣は、試合に勝つことが目的ではなく身体を動かすことが目的で、それ自体に心身をコンディショニングする効果があります。
アメリカのある高校では、体育の成績をスポーツの上手下手で決めるのではなく、各生徒の心拍計の数値で決める試みを行い、見事に生徒たちの心身のパフォーマンス向上を果たしたそうです。スポーツの上手下手だけで成績をつけると、運動神経が苦手な生徒はモチベーションを失ってしまいます。しかしどの生徒も、心拍数はがんばればそれだけ上昇しますし、それが評価されることで運動習慣へのモチベーションが維持され、結果的に身体にも脳にもパフォーマンス向上の効果が表れたのです。
学生時代から運動音痴で鳴らしていた身としてはうらやましい限りですが、こういった風潮が日本にも広がるといいなあと思いつつ、また皆さんがご自身に合った運動習慣を見つけてくださることを願いつつ、筆を擱きたいと思います。
追伸:当院の理学療法士によるコラム「理学療法ワンポイントアドバイス」の中で、うつ病の予防・軽減のための運動について、より実践的なやり方や注意点が紹介されています。詳しくは「『うつ病』の予防・軽減 ~運動療法を通して~」および「運動による「うつ病」の予防・軽減 【実践編】」をご参照ください。
文責:臨床心理士・名倉